残念! 2012凱旋門賞
2012年は第7代三冠馬が悲願達成に挑みましたが……


 先日フランスで行われた、競馬・芝の世界最高峰レースの凱旋門賞。

 日本競馬界、悲願中の悲願であるこのレースの優勝は、またしても、あと少しのところでおあずけになってしまいました。

 海外のレースのため、もちろん馬券は一切買うことはできないのですが、私の心には、ここ何年か味わうことのなかった猛烈な悔しさが込み上げてきました。

 そりゃ、日本現役最強馬のオルフェーヴルが、大外18枠からという不利な条件にもかかわらず、持ったまんまで、後ろから世界の強豪をまとめて全馬かわして、一旦は明らかに単独先頭に躍り出たのですから、普段は静観派である私でさえ、最後の直線残り200mあたりでは、大きく手を叩きながら狂喜乱舞しておりました。

 完全に勝ちパターンにはまったのに、わずか残り10〜20mという大事なところで、日本人にもおなじみの、ペリエ騎手がまたがる、ソレミアとかいう聞いたこともない人気薄の地元の馬に足元をすくわれてしまったのですから、2着でゴールインした時の落胆といったらありゃしません。「地団太を踏んで悔しがる」というのは、まさにこういう事なのだと心の底から思い知らされました。


 このような展開の競馬で悔しい思いをしたのは、果たしていつ以来だったのかな、と後で冷静に思い返してみると、まだ私が競馬をやり始めて間もない、11年前・2001年のジャパンカップ、当時の現役最強馬で、特に思い入れが強かったGT7勝馬のテイエムオペラオーが、満を持して直線抜け出したところを、若い3歳のダービー馬・ジャングルポケットに、ゴール直前で差し切られたレースにたどり着きました。

 この場面が頭をよぎった時、「あっ」と思いました。この時逆転優勝したジャングルポケットの手綱を握っていたのが、オリビエ・ペリエ、その人です。

 そう言えば、ペリエ騎手が日本のGTを席巻していた2000〜2005年の頃、彼の乗った馬がゴール寸前で、前の馬を捕らえるシーンが目立っていました。

'00フェブラリーS(ウイングアロー)
'01フェブラリーS(ノボトゥルー)
'01阪神ジュベナイルF(タムロチェリー)
'02有馬記念(シンボリクリスエス)
'04天皇賞・秋(ゼンノロブロイ)
'04有馬記念(ゼンノロブロイ)
'05マイルCS(ハットトリック)

 直線半ばでは追いながらもわずかに馬の余力を残しつつ、最後の最後で、最高のスピードを出させてゴール線手前で先に出た馬をきっちり差し切るのは、彼の得意ワザだったのです。

 この、ペリエ騎手の追い出すタイミングが抜群なことについてですが、2002年の有馬記念を勝った時に
「岡部さん(当時現役の大ベテラン騎手)がまだ追い出しを我慢してたから、それを真似た。」
というコメントを残しています。

 彼は、岡部元騎手や武豊騎手のペース判断の正確さを評価し、
「彼らに日本での乗り方を教えてもらったと言っても過言ではない。」
とも語っています。

 まさかこんな日本流の乗り方が、皮肉にも日本競馬界の大きな壁になってしまったのでしょうか……

 ま、一概にそうだとも言えないかもしれません。負けた原因を内に求めるとすれば、大外枠・位置取り・人気を背負ったこと・馬場・斤量・気性など、さまざまなことが展開のアヤの上で少しづつ積み重なったことが、大きな要因であろうかと思います。

 しかし、最終的にはペリエの経験が、ほんのわずか、オルフェーヴル陣営を上回ったことも否めないでしょう。


 それにしても、わずか10秒ほどの短い時間でしたが、オルフェーヴルには良い夢を見させていただきました。

 鮮やかに馬群の外を抜けていった時には、フランスのホースマンたちに、まるで伝説の欧州史上最強馬・ダンシングブレーヴが一瞬、再び蘇ったかのような錯覚を、与えてくれたことでしょう。

 ('12.10.13)

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