名馬略歴


 号
馬名・戦績
主な勝ち鞍
略歴
アイネスフウジン
8戦4勝
 4-3-0-1
日本近代競馬最初にして最大の「中野コール」。
未勝利から勝ち上がり、朝日杯を4角先頭から逃
切り。共同通信杯も楽に逃げ勝ったが、弥生賞で
逃げが一杯、皐月賞はスタートに不利を受け不
発。ダービーはその思いを拭うかのような逃切りだ
ったが、その時、東京競馬場に詰め掛けていたの
は、19万を越す史上最高数のファン。鞍上中野騎
手を称える大コールが競馬場を包み込んだ。父と
しては、ダートの女傑ファストフレンドを出した。
アカネテンリュウ
36戦13勝
 13-6-4-13
典型的な菊花賞の上がり馬。
3歳の3月に7戦目でやっと初勝利という、クラシッ
クどころの馬では無かったが、5月に2勝目を挙げ
るとそこから3連勝。TRのセントライト記念も勝ち、
ついには菊花賞まで制してしまった。このため4歳
の始めは目立たなくても夏場に力をつけてくる馬の
ことを「アカネテンリュウ型」と呼ぶようにまでなり、
このような菊花賞馬は今まで多々出現している。
アグネスタキオン
4戦4勝
 4-0-0-0
平成の「幻の三冠馬」。
額に小さな角があり、ユニコーン降臨と出生直後
静かな噂になっていた。同期にクロフネ・ジャング
ルポケットがいたが、ラジオたんぱ杯でこれらにレ
コードで快勝。弥生賞では不良馬場を難なくこな
し、皐月賞も危なげなく勝ち3冠獲得濃厚と言われ
たが、無念の屈腱炎引退。ダイワースカーレット・
ディープスカイなどを輩出し、不滅の種牡馬・父サ
ンデー亡き後のリーディーングサイアーの座に就い
たが、その翌年早々に他界した。
(外) アグネスデジタル
32戦12勝
 12-5-4-11

平成のミスターオールラウンダー。
ダート馬と言われたが、3歳にしてマイルCSを鮮
やかにレコード勝ち。統一GT勝利後、クロフネを
押しのけて出た天皇賞で、テイエムオペラオーを差
し切る。更に香港で芝2000の香港Cを勝ち、日本
に戻ってはダートマイルのフェブラリーSも制圧。長
期休養の後、安田記念も勝利して、様々な舞台で
活躍した。GTレコードも3回出した。
アグネスフライト
14戦4勝
 4-2-0-8
河内騎手を男にした良血馬。
父はサンデーサイレンス、母はオークス馬の娘で
桜花賞馬のアグネスフローラ。デビュー戦を快勝。
二戦目は大敗し皐月賞は出られなかったが、順当
に勝ち上がり、ダービーは3番人気で出走。エアシ
ャカールとハナ差の大激戦を演じた末、親子3代G
Tを成し遂げ、河内騎手に待望のダービージョッキ
ーの称号を与えた。全弟にアグネスタキオンがい
る。
アグネスフローラ
6戦5勝
 5-1-0-0
アグネス族の代表牝馬。
母は、オークス馬アグネスレディ。母と同じ手綱を
取ったのは河内騎手。4連勝の勢いのまま、道悪
の桜花賞を勝利。大外20番枠、直線で骨折しなが
らの死闘を演じ、レースレコード決着となったオーク
スは2着。6戦5勝で繁殖入りし、生まれたサンデ
ー産駒はアグネスフライト・アグネスタキオン。もち
ろん騎手は河内洋。4代連続クラシック制覇の可
能性は高い。
(外) アグネスワールド
20戦8勝
 8-6-1-5
数少ない海外GT2勝馬。
兄は、スプリンターズSを勝った、ヒシアケボノ。重
賞で好走しながらも、GTになると着順を落とし、勝
負弱さが疑われたが、アベイドロンシャン賞・ジュラ
イカップと海外2つの直線GTを制し、名の通りワ
ールドワイドな結果を残す。JRAGTでは、2年連
続スプリンターズS2着が最高。コーナーを回る競
馬が苦手ではないかと言われた。
アサカオー
 24戦8勝
 8-6-5-5
苦悩の日々が続いた菊花賞馬。
弥生賞でタケシバオーを下すが、スプリングS・皐
月・ダービー共に3着。しかし、菊花賞でようやくラ
イバルを下し、悲願のクラシック戴冠。有馬記念は
一番人気に推されたが6着。翌AJCCを勝ったが、
その後は勝ち鞍に恵まれず。最近の馬で言うと、
ナリタトップロードのようなタイプに相当するだろう
か。
(父) アストンマーチャン
 11戦5勝
 5-2-0-4
あまりに若かった、スプリント女王。
アドマイヤコジーンの初年度産駒。イギリスの名車とオーナーの愛称をかけて命名され、オーナー2頭目の所有馬。超高速ピッチ走法から産み出されるスピードを以ってファンタジーSをレコード制覇。阪神JFは一番人気に支持されたが、後のダービー馬に惜しくも差された。桜花賞も敗北したが、3歳で不良馬場のスプリンターズSを逃切り勝ち。史上最速での古馬混合GT優勝となった。しかし翌年X大腸炎にかかり、現役馬のまま死亡した。
(市) アドマイヤグルーヴ
 21戦8勝
 8-1-3-9
GTが遠かった、超良血のお嬢様。
共にオークス馬である、エアグルーヴの娘・ダイナ
カールの孫。セレクトセールで当時の史上最高額
で落札。クラシック二戦は致命的な出遅れから敗
退。秋華賞も僅差で敗れ、スティルインラブに三冠
全てを奪われた。しかし続くエリザベス女王杯で
は、ライバルを逆転し悲願の母娘3代GT制覇を成
す。牡馬相手に苦戦を強いられたが、翌年の女王
杯も連覇。さらに翌年も勝ちが遠かったが、最後の
阪神牝馬Sで有終の美を飾った。
アドマイヤコジーン
 23戦6勝
 6-3-2-12
脚にボルトを埋めた、白いサイボーグ。
2戦目の新馬戦から3連勝で2歳王者へ。しかし、
この後2度の骨折で、1年半もの間レースから遠ざ
かる。復帰後、またも1年半勝ち星が挙げられなか
ったが、後藤騎手に乗り替わると馬が一変、重賞
連勝から高松宮2着。そして安田記念では大外か
らの早め抜け出しで朝日杯以来のGT優勝。これ
は、11年目後藤騎手の初のGT勝ちでもあった。
アドマイヤドン
25戦10勝
 10-3-2-10


同一GT3連覇したダートの猛者。
ダービー馬アドマイヤベガの弟。2歳に朝日杯を無
敗で優勝。しかしクラシックは奮わず、JBCクラシ
ックに出走し優勝。これでダートに完全転向し、翌
年は南部杯・JBCを勝利。JCダートはフリートスト
リートダンサーと大接戦を演じ、わずか4cm差で敗
北。翌年はドバイWCにも挑戦。3年目のJBCクラ
シックはレコードで3連覇。交流も含め、通算GT
勝数は最多タイの7勝となった。
アドマイヤベガ
8戦4勝
 4-1-0-3
府中に燦然と輝いた、二冠牝馬の孝行息子。
二冠牝馬ベガの初仔として、デビュー前から注目
を集める。3戦連続先頭入線を果たした(新馬は降
着)が、弥生でナリタトップロード・皐月でテイエム
オペラオーに敗北。決死の巻き返しを期し、2番人
気のダービーは鞍上武豊の好騎乗もあって、見事
に2代連続クラシック制覇を達成。菊花賞6着の
後、繋靭帯炎で引退、わずか4世代を残して早世
した。
アドマイヤマックス
23戦4勝
 4-2-5-12
苦しみ見抜いてのスプリント覇者。
新馬・東スポ杯を連勝し、早くから脚光を浴びたが、故障に見舞われ3歳春は全休。セントライト記念で2着し復活したが菊は惨敗。以降は短距離路線に回り善戦を続けたが5歳までに富士Sの一勝のみ。6歳の高松宮記念では大外に入ったが、武豊の逆に外枠を生かす競馬で遂に戴冠した。
アドマイヤムーン
17戦10勝
 10-2-2-3
 
アラブが認めた国際派。
春のクラシック、秋天などGTを勝ちきれなかったが、4歳にドバイデューティーフリーを勝利。しかし香港のQエリザベス2世Cに敗北。これがきっかけで、アドマイヤ陣営と武豊騎手との関係が悪くなったとも言われる。岩田騎手が乗り替わり、過去最高メンバーとも言われた宝塚記念を優勝。秋はダーレージャパンに移籍しJCを勝ったが、オーナーのわずか4ヶ月での日本撤退と時を同じくして引退。ダーレージャパン牧場の種牡馬になった。
[地] アブクマポーロ
(大井)
32戦23勝
 23-3-3-3

2年連続NAR年度代表馬。
大井競馬を代表する強豪馬、その無類の強さは7
歳で爆発。中央馬をことごとく蹴散らし、地元では
どうしようもないほどの強さを見せる。体調が悪か
った南部杯でメイセイオペラに敗れるも、東京大賞
典で借りを返す。川崎記念楽勝で連覇も、馬運者
で暴れて怪我し引退した。
アンバーシャダイ
34戦11勝
 11-6-7-10
名種牡馬ノーザンテーストの代表産駒。
ダービーには出ているが、4歳春までは地道に条
件戦を勝ち負けしていた。秋の目黒記念で重賞初
勝利。有馬記念では、同厩のホウヨウボーイに鞍
上を譲り、「代打男」の異名をとる東騎手を背にタイ
トルを勝ち取った。後は最後まで主戦の加藤和宏
騎手が手綱を取り、翌々年の天皇賞で久々のビッ
グタイトルを手に。種牡馬としては、メジロライアン
を筆頭に重賞ウイナーを数多く出した。
(外) イーグルカフェ
46戦5勝
 5-4-4-33
意地で掴んだ、芝・ダート二色の勲章。
京成杯2着・共同通信杯勝利から、NHKマイルC
を僅差で勝利。しかし、出遅れの悪さなどから不遇
の成績を積み重ねる。七夕賞で21戦ぶりに重賞を
勝つと、その年フランスに遠征し、ドラール賞3着。
そして中山のJCダートでは、デットーリを鞍上に迎
え、アドマイヤドンやゴールドアリュールなどのダー
ト一線級を相手にGT2勝目を挙げた。
(抽) イソノルーブル
 8戦6勝
 6-0-0-2
靴を失くしたシンデレラ。
抽選馬ながら新馬戦をレコード勝ち。そこから一気
に5連勝を果たし、堂々桜花賞は一番人気で迎え
た。ところが発走直前に落鉄が判明。発走時刻を
遅らせて打ち付けを試みたが、馬が暴れて付けら
れず、そのまま発走。5着に敗れた。大外に回った
オークスでは、桜花賞馬シスタートウショウに一番
人気を奪われたが、ゴール寸前までライバルの猛
追を振り切り雪辱を果たした。
(地) イナリワン
25戦12勝
 12-3-2-8
平成初期の競馬ブームを盛り上げた立役者。
2歳大井でデビューし、3歳暮れまで東京王冠賞を
含む無傷の8連勝を飾る。その後、中央に移籍し、
天皇賞・春を圧勝。その流れに乗り、宝塚記念も
制覇。秋初戦毎日王冠でオグリキャップとの壮絶
な叩き合いを見せるも、天皇賞・JCで惨敗。しか
し、有馬記念を4番人気で制した。生涯中央で1番
人気を一度も得られなかった。
イングランディーレ
34戦8勝
 8-3-2-21
ノリに導かれて、3200m一人旅。
初勝利に4戦、2勝目に5戦、3勝目に7戦費やす平凡な馬だったが、4歳になると長距離線を中心に重賞を4勝。ダート戦を使うなどして5歳に淀の天皇賞に出走。ネオユニヴァース・ゼンノロブロイなど4歳四天王が人気を集めていたが、それらを尻目に横山典騎手を乗せ大逃げを敢行。自慢のスタミナは切れることなく、7馬身も残して逃げ切った。
インターグロリア
 21戦9勝
 9-3-2-7
若き日の強さに陰り無し。
2回目の新馬戦で大差のレコード勝ち。オープン勝
ちを挟んで桜花賞でも3馬身差完勝。しかし、オー
クスTR・オークスと不可解な惨敗。しかし秋に復活
し、エ女王杯勝利で二冠達成、阪神牝馬特別も勝
利。古馬になっては、マイラーズC勝利・京都牝馬
特別を連覇、さらにはカネミノブの有馬記念に連対
するなど、その強さを保ち続けた。
ウィナーズサークル
 11戦3勝
 3-5-0-3
唯一の芦毛ダービー馬。
茨城生まれ。気性が悪く騎手の指示を聞かず、デ
ビュー当初は競馬にならなかった。不良の皐月賞
では、豪腕郷原騎手の指示をようやく守り、もの凄
い追い込みで惜しい2着。ダービーではきっちり折
り合い、後方一気で芦毛馬初のダービー制覇。し
かし、菊花賞レース中に故障し引退。
ウイニングチケット
 14戦6勝
 6-1-2-5
柴田政人にダービーの栄誉をプレゼント。
弥生賞を制したが、皐月賞で敗れ、勝ったナリタタ
イシン・後に菊花賞を勝ったビワハヤヒデと元祖三
強を形成した。当のウイニングチケットはトニービン
産駒らしくダービーを優勝。4コーナーで眼前の馬
群が一気に開く幸運にも恵まれ、騎手生活27年目
の柴田政人騎手に悲願をもたらした。その後は良
績を挙げられず、秋の天皇賞でビワハヤヒデと共
に屈腱炎を発症し引退した。
ウイングアロー
 30戦11勝
 11-7-5-7
中央ダートGTを両制覇。
母父は、三冠馬ミスターシービー。3歳時に5連勝
を達成。その後勝ちきれないレースが続いたが、5
歳でフェブラリーS優勝。南部杯2着に続き、第1回
JCダートをスーパーレコードで快勝。翌年の同中
央GTも両方2着でまとめ、ダート界の名馬として
確固たる地位を築いた。
エアグルーヴ
 19戦9勝
 9-5-3-2
良血の血統を紡ぐ、二代目のスーパーウーマン。
オークス馬ダイナカールの仔として生まれ、オーク
スを制し2代制覇を実現。翌年以降は一流牡馬に
混ざって古馬王道に挑戦し、秋の天皇賞を、昨年
の覇者バブルガムフェローとの激しい叩き合いの
末に勝利。JCも2年連続2着とまさに男勝りの活
躍を見せる。初仔は2年連続エリザベス女王杯を
制したアドマイヤグルーヴ。
(父) エアジハード
 12戦7勝
 7-2-1-2
ワンダーホースを下した名マイラー。
デビュー2連勝したが、スプリングS・NHKマイルと
敗北し、一旦GT戦線から退く。京王杯でグラスワ
ンダーの2着に入ると、本番安田記念では圧倒的
人気のグラスと大接戦を演じた末勝利。秋のマイ
ルCSも快勝し、マイラーとしての地位を確かなも
のにした。香港遠征も屈腱炎のため挫折。種牡馬
としては堅実である。
エアシャカール
20戦4勝
 4-6-1-9
最も三冠に近づいた準二冠馬。
エアデジャヴーの弟。皐月賞勝利後、ダービーで
は同じサンデーサイレンス産駒アグネスフライトと
一騎打ちを演じ、ハナ差で惜しくも敗れる。その夏
にはイギリスのキングジョージに挑戦し5着。帰国
して3冠目は、もたれ癖を克服して菊花賞を勝利
し、結果的に三冠をハナ差で逃したことになった。
その後自らのキツイ気性などに悩まされ、勝ち星を
挙げられなかった。
エアメサイア
 12戦4勝
 4-4-2-2
母の夢を果たした孝行娘。
3歳牝馬GT戦線で遂にGT達成に至らなかったエアデジャヴーが母。娘は4戦2勝で桜花賞・オークスに臨んだがいずれも惜敗。母の名の如くデジャヴーを繰り返すに思えたが、ローズSで宿敵ラインクラフトを下すと、本番秋華賞でもライバルをきっちり差し切り、母娘2代に亘る悲願を成就。第1回ヴィクトリアマイルは好走空しく2着。爪の故障から一年近い長期休養に入り、そのまま引退した。
(外) エイシンプレストン
32戦10勝
 10-5-2-15

香港GT3勝の、シャティンの申し子。
朝日杯を制覇。外国産馬なので、明け3歳に裏路
線アーリントンC・NZTを進み連勝するが、NHKマ
イル直前に骨折。復帰後勝ちきれないレースが続
くが、4歳末に香港マイルを完勝。翌年また香港
で、アグネスデジタルとのワンツーによりQエリザ
ベス2世Cを制覇。さらに翌年の同レースも勝ち、
史上初海外GT3勝を果たす。
エリモジョージ
44戦10勝
 10-1-4-29
通称「気まぐれジョージ」。
京都記念で61kgを背負って8馬身差のレコード勝
ち、12番人気の天皇賞を勝ち、2番人気の京都大
賞典では9着など、良くも悪くもファンを裏切り続け
た。天才福永洋一騎手をして、ゲートが開くまでわ
からんと言わしめた。
エリモダンディー
15戦5勝
 5-2-0-8
京阪杯・日経新春杯 同じ父、同じ末脚自慢の戦友と共に。
'97クラシック3冠に皆勤し、ダービーでは4着。小
柄な馬体から繰り出されるキレのある末脚でターフ
を沸かせた。4歳の日経新春杯で4コーナーシンガ
リからのごぼう抜きで重賞2勝目を手にしたが、そ
れと同時に骨折が判明。放牧に出されたが、その
まま腸捻転で死亡してしまった。生前は、シルクジ
ャスティスの調教パートナーも勤めていた。
エリモブライアン
26戦4勝
 4-3-2-17
ステイヤーズステークス やっぱり長距離レースはブライアンズ産駒。
皐月賞・菊花賞に出走し、菊は3着。翌年は阪神
大賞典の2着に入線。しばらく2000m以下のレー
スで苦しんだが、長距離のドンカスターS・ステイヤ
ーズSを連勝。翌年の阪神大賞典も3着に入り、改
めてブライアンズタイム産駒の長距離適性の高さ
を実証した。
(外) エルコンドルパサー
11戦8勝
 8-3-0-0
凱旋門賞2着馬。
ダートで実績を挙げるも、マル外ダービーと言われ
たNHKマイルCで芝でも強いことを証明。サイレン
ススズカに土を付けられたが、3歳でJCを制覇。
翌年は渡欧。サンクルー大賞を勝ち、凱旋門賞は
惜しくも2着。その評価は高く、日本で走らずに年
度代表馬になった。早すぎる死で、種牡馬生活は
3年で終わった。しかし、最後の産駒・最後のクラ
シックでソングオブウインドが菊花賞を、またアロン
ダイト・ヴァーミリアンがJCダートを制した。
(父) オートキツ
22戦14勝
 14-2-1-5
良血を受け継いだ重馬場巧者。
ダービー2着の母・トキツカゼの仔。朝日盃・皐月
賞は惨敗したが、不良のオープンでは20馬身以上
引き離す道悪巧者ぶりを発揮。そしてダービーは
待望の極悪馬場となり、見事に母の屈辱を果たし
た。菊花賞は惜しくも2着だったが、年度代表馬に
選出。その後は、ダイヤモンドS・東京盃を勝ち、脚
部不安から引退。
(地) オグリキャップ
32戦22勝
 22-6-1-3

競馬人気を頂点に持っていったアイドルホース。
笠松で圧倒的な強さを示し、中央に移籍、クラシッ
クには出走不可も重賞連勝を果たす。3歳秋にタ
マモクロスと対戦し、天皇賞・JCで先着を許した
が、3度目の有馬で勝利。翌年はマイルCS−JC
という連闘も苦にせず好走し、伝説を作り続ける。
5歳の宝塚記念から着順を落とし続け、ピークは過
ぎたと噂されるも、引退レースの有馬で見事な復
活。全国競馬ファンを感動の渦に巻き込んだ。
オサイチジョージ
23戦8勝
 8-4-2-9
オグリキャップの歯車を狂わせた馬。
絶好調安田記念レコード勝のオグリに、宝塚記念
で3馬身半離して快勝。ここからオグリのスランプ
が始まる。以下、イナリワンなどの一流馬もおり、
立派なGT勝ちではあるが、残念ながら、種牡馬
としては廃用になってしまったようだ。
オフサイドトラップ
28戦7勝
 7-8-5-8
根性で掴んだ天皇賞タイトル。
3歳若葉S勝ちでクラシック候補に挙がるも結果を
出せず。度重なる故障に苦しむが、関係者の努力
が実り、7歳に七夕賞で初重賞制覇。新潟記念も
連勝し、天皇賞に善臣を乗せて出走。サイレンス
スズカの故障で勝利を拾った形には見えるが、ス
テイゴールド・メジロブライトなどを負かした事実は
変わる事がない。
(父) ガーネット
38戦14勝
 14-7-6-11
日本に生き続ける牝系の代表格。
キタノカチドキ・マチカネフクキタル・スペシャルウィ
ークなどに通じるフローリスカップ系の血脈を持つ。
クラシックは気性の悪さが災いし惨敗に終わった。
古馬になっても重賞を勝てず苦労を続けたが、37
戦目の天皇賞でオーテモンと直線ビッシリと叩き
あい、遂に大きな栄誉を手にした。推薦で選ばれ
た有馬記念では、道悪対策でシンザン張りの大外
一気を決め、あっさりと引退した。
[地] カウンテスアップ
(盛岡・大井・名古屋)
41戦29勝
 29-4-2-6

川崎記念を3連覇した地方競馬の渡り鳥。
盛岡、大井、名古屋、大井と地方を移籍を繰り返
す中、的場文男・安藤勝己騎手を背に29勝を挙げ
る。その間に帝王賞と川崎記念を3回制す。的場
騎手は、カウンテスアップを思い出の馬に挙げてい
る。
カツラギエース
22戦10勝
 10-4-1-7
初のJC優勝日本馬。
東のミスターシービーに対抗すべき西の代表であ
ったが、3歳では全く歯が立たず。しかし、ファンが
実力を忘れかけたJCで、ミスターシービー・シンボ
リルドルフ2頭の三冠馬を含め、国内外の強豪をま
とめて撃破。以降、「世界のカツラギエース」と謳わ
れた。宝塚記念も制して中距離ホースナンバーワ
ンの地位を占め、JCのフロック勝ち説を一蹴した。
(父) カツラノハイセイコ
23戦8勝
 8-7-3-5
元祖アイドルホースの孝行息子。
父はハイセイコー。条件戦を勝ち上がりスプリング
Sを使って、父と同じく皐月賞を目指したが惜しくも
2着。だがハイセイコーが涙を呑んだダービーを勝
利し、見事に父の無念を果たした。脚部不安から
長期休養を余儀なくされたが、復帰してからこれも
父が勝てなかった天皇賞を優勝。全国のハイセイ
コーファンの溜飲を下げた。
カネミノブ
37戦8勝
 8-8-6-15
安定感が売りの年度代表馬。
生涯全レースを闘将・加賀武見騎手が鞍上を務
め、成績は37戦8勝。このうち、掲示板を外したの
は、GT級レース3回だけという実に堅実な成績を
残した。'78の有馬記念を勝ち、TTGの谷間を埋め
るように年度代表馬に選ばれた。種馬としては成
功せず、グランプリホースであるのに、廃用後行方
不明になってしまった。
カブトシロー
69戦14勝
 14-7-12-36
八百長事件にも関わった希代の癖馬。
デビュー2戦目での勝利以降11連敗したが、皐月
賞・ダービーには出走。そんな中、たちばな賞優勝
の背景で山岡騎手などによる八百長があったこと
が発覚し同騎手は追放となった。4歳から続いて
いた20連敗は、オーナーが他の馬主に譲渡した直
後の、秋の天皇賞で終止。有馬記念は6馬身差の
圧勝。人気になると今度は大敗を繰り返した。
(市) カブトヤマ
29戦12勝
 12-7-6-4
ダービー馬はダービー馬から。
3年連続ダービー馬を出したシアンモアが父。母
も、後にダービー馬・天皇賞馬を出す、超名家に生
まれた。二万円以上の高額で取引され(当時ダー
ビー賞金は一万円)、3戦目にして、目黒での第二
回東京優駿(ダービー)をレコードで優勝。その後も
4回レコードを出した記録が残っている。代表産駒
はダービー馬マツミドリ。彼が下したのはカブトヤマ
の調教・騎手を務めていた大久保房松師の管理
馬・トサミドリだった。
カブラヤオー
13戦11勝
 11-1-0-1
逃げの最強ダービー馬。
ダービーでは、1000m58.6という狂気のHペースを
作り逃げ切ってしまった。その異常とも呼べる脚質
の裏には、他馬に寄られると怯えるからという理由
があった。逃げ一辺倒の同馬は、実はクラシック以
前に大差逃切り桜花賞馬テスコガビーを相手に逃
げ切っている。そしてこの年、両馬の主戦菅原騎
手はクラシック4勝した。
カルストンライトオ
36戦9勝
 9-4-6-17
1000m日本記録保持者。
日本初の直線1000m重賞、アイビスサマーDの第
一回は惜しくも敗れたが、第二回・第四回を、大外
ラチ一杯の逃切りで制す。特に第二回では53.7と
いうタイムを叩き出す。第四回勝利後はその勢い
のまま、道悪のスプリンターズSまで勝利した。
キーストン
25戦18勝
 18-3-0-4
最も多くの涙を誘った最期を遂げたダービー馬。
ダービーオーナーのタイトル欲しさに馬主が替わっ
たダイコータを、不良のダービーで下す。しかし、菊
花賞はそのライバルに敗北。その後勝ち負けを繰
り返していたが、5歳阪神大賞典の4コーナーで骨
折し転倒。予後不良だと誰が見てもわかる重症だ
ったが、彼は落馬した山本騎手に脚を引きずりな
がら歩み寄り、心配して鼻面をすり寄せたのだっ
た。
キタノカチドキ
15戦11勝
 11-2-1-1
単枠指定第一号。
阪神3歳Sを含め、皐月賞まで危なげ無しの快進
撃。しかしこの皐月賞、ストの影響で東京の開催。
史上初の単枠指定を受け、これは制したものの、
中2週となったダービーでは3着敗退。しかし秋は
立て直し、トライアル・菊花賞を3連勝。古馬になっ
ては振るわず、最後の有馬記念は故障しながらの
レースだったが、マイラーズCでの勝利は名勝負と
も言われている。
ギャロップダイナ
42戦10勝
 10-11-4-17
シンボリルドルフを差し切った馬。
一介の条件馬にすぎなかったギャロップだったが、
絶好調の史上最強馬シンボリルドルフをゴール板
で差し切り奇跡を起こす。翌年安田記念も制し、実
力がフロックでないことを証明した。レコードも3回
更新するなど、実に堅実な走りを見せている。
キョウエイマーチ
26戦8勝
 8-4-3-11
スピードに物を言わせた桜花賞馬。
6戦5勝で不良の桜花賞を逃切り。オークスははっ
きりと距離の壁に阻まれたが、秋華賞にて、桜花
2着・オークス馬のメジロドーベルと雌雄を決し、惜
しくも敗れた。次のマイルCSは、タイキシャトルの
2着に入り、それ以降も淀みの無い逃げから、芝・
ダーと問わず牡馬混合レースで度々上位に残り、
短距離戦線を大いに盛り上げた。
キングヘイロー
27戦6勝
 6-4-4-13
GTまでの長き長き旅路。
東スポ杯でレコードを出し、素質の高さを評価され
たが、皐月賞でライバルに負け、ダービーは暴走
気味の逃げを福永騎手が止められず悔いの残る
大惨敗。4歳秋からは、王道路線を離れ、さまざま
なカテゴリ−のGTに挑戦した結果、平坦短距離
の高松宮記念で悲願の栄冠を勝ち獲った。娘のカ
ワカミプリンセスは無敗でオークス・秋華賞を制し、
父の果たせなかった夢を叶えた。
(市) キングカメハメハ
8戦7勝
 7-0-1-0
驚異的なレコードで王者降臨。
2連勝後、京成杯を3着と敗れたが、毎日杯を完勝
し、皐月賞を回避してNHKマイルCへ。直線で外
に持ち出すと、5馬身差・レースレコードタイを以っ
て圧勝。ダービーでは、後に三冠馬に土をつけた
ハーツクライを2着に従え、安藤勝己騎手に悲願の
ダービータイトルをプレゼント。タイムはダービーレ
コードを一気に二秒縮める驚異的なものだった。ト
ゥザビクトリーとの初仔は6億円の値が付いた。
クモハタ
21戦9勝
 9-5-3-4
殿堂入りの最古参。
四白流星の綺麗な馬体が特徴。新馬戦勝ちの二
日後のダービー出走は実を結び、1馬身差勝利。
重度の体調不良に見舞われながらの奇跡的な優
勝でり、驚愕の大穴馬券を引き出した。晩年伝染
性貧血に侵され、最後は薬殺処分となった。しか
し、その産駒たちはメイヂヒカリを筆頭にあらゆる大
レースを制覇。昭和のサンデーサイレンスとも言う
べき活躍であった。
(外) グラスワンダー
15戦9勝
 9-1-0-5

グランプリ3連覇のワンダーホース。
2歳時から類稀なるレースセンスを覗かせ無敗街
道をひた走る。外国産馬のためクラシックに進め
ず、重ねて故障。復帰後、サイレンススズカに敗れ
連勝は止まるが、グランプリの度に復活し、多くの
ファンを掴む。スペシャルウィークとの決戦は、宝塚
で圧勝。厳しいマークを受けた有馬は、わずか4c
mの僅差で勝利を手にした。父としてはJC馬スク
リーンヒーローなどを出し、サンデー系一色の血統
地図に波紋を投げかけている。
グランドマーチス
63戦23勝
 23-10-9-21


障害唯一の顕彰馬。
準オープンレベルから障害に移行。39戦の障害戦
の中で落馬したことは一度もない。あまりに強すぎ
たため、斤量の規定が変わり、中山大障害は、過
去に一勝するごとに2キロ増しという過酷なルール
が定められた。その結果、5連覇の掛かるレース
で66キロを背負わされ、逃げ馬を捕らえられず2着
に敗退した。さらに京都大障害で4連覇を狙い、67
キロで出走したが、レース中に故障し引退した。
グリーングラス
26戦8勝
 8-7-4-7
遅れてきた三強のアンカー。
トウショウボーイ・テンポイントの菊花賞対決で、突
然現れ勝利しTTG時代を築く。その後この2頭に
なかなか勝てなかったが、3頭のうち最後まで残
り、脚部不安を克服して春天を獲った。さらに6歳
時に有馬も獲り、ライバル2頭に並んで年度代表
馬に選出。種牡馬引退後は、佐賀の熱狂的ファン
に引き取られ、余生を過ごした。
クリフジ
11戦11勝
 11-0-0-0
史上最強牝馬。
ダービーでは大きく出遅れながらも、レコードを1秒
6も縮める大楽勝。秋のオークス・菊花賞はいずれ
も大差勝ちし、変則三冠を達成。この後も勝ち続
け、11戦全勝という不滅の連勝・無敗記録を樹
立。繁殖に上がっても、2冠牝馬ヤマイチを出し
た。
(父) グルメフロンティア
38戦9勝
 9-8-3-18
デビュー35戦目で掴んだ栄冠。
牝系をたどると二冠牝馬スウヰイスーにたどり着
く、由緒ある血統。27戦目で初の重賞挑戦。エア
グルーヴの天皇賞5着を経て、6歳の中山金杯で
念願の重賞タイトルを獲得。その勢いのまま、続く
ダートGTのフェブラリーSを優勝。その時、初出走
から35戦目を数えていた。
(外) クロフネ
10戦6勝
 6-1-2-1
ダービー開放の使者兼、ドバイ制覇の夢見人。
ダービー外国産馬開放に合わせて付けられた名
の通り、重賞・NHKマイルを勝ち上がり、大目標に
出走。だが、重馬場に泣かされ敗北。秋は盾取り
を目指すが、出走枠制限に阻まれ、急遽ダートへ
転向。これが立て続けの芝並みの大レコード・大
楽勝を実現させ、ドバイWC制覇も現実味を帯びた
が、無念の屈腱炎引退。産駒に期待が寄せられ
る。
(父) コイウタ
21戦5勝
 5-2-2-12
前川清を男にした馬。
馬名は、歌手で馬主のヒット曲「恋唄」から。クイーンC優勝で桜花賞に進み3着。しかしオークスは競争中止、秋華賞は17着大敗と憂き目を見る。翌年ダービー卿CT2着を足がかりに、新設2年目のヴィクトリアマイルで内をすくって優勝。馬主の前川氏は、本人が現地に行くと勝てないというジンクスを気にし、地方でTV観戦していたが、興奮のあまり机を手で叩いていて突き刺してしまったという。
[外] ゴールデンフェザント
 (アメリカ)
22戦7勝
 7-4-3-8

  アーリントンミリオン
'91年度JC優勝馬。
米国生まれの芦毛馬。サンクルー大賞2着など
と、上昇過程で凱旋門賞14着と大敗。4歳でアメリ
カに戻り、オープンを順調に勝つが、ハンデGTに
連敗。しかしアーリントンミリオンで遂に悲願のGT
勝利。また負け続けたが、JCでメジロマックイーン
などを抑えてGT2勝目。日本で種牡馬入りした
が、産駒に恵まれず中国へ。
ゴールドアリュール
16戦8勝
 8-1-1-6

SS産駒初の本格派ダートホース。
3歳時から積極的にダートを使われ、交流GTを3
鞍圧勝。日本ダービーも5着しており、芝での適正
も証明されている。4歳では中山開催のフェブラリ
ーSを完勝し、ドバイ遠征を目論んだが、イラク戦争
による輸送不可で涙を呑んだ。その夏、帝王賞で
単勝1.1倍の人気に推されたが喘鳴症が発症し大
敗。引退を余儀なくされた。
コダマ
17戦12勝
 12-2-1-2

新時代の超特急。
早くから名伯楽武田師の目に止まり、エリート路線
を突っ走る。重馬場皐月賞6馬身。ダービーは「ト
キノミノルの再来」と言われ、見事レコードで応え
た。秋は脚部不安から三冠を逃したが、古馬では
宝塚記念を勝って綺麗に引退。種馬としてはクラシ
ックホースも輩出した。
サイレンススズカ
16戦9勝
 9-1-0-6
悲運の快速逃亡者。
3歳では戦略上の迷いから全力を出し切れなかっ
たが、香港で鞍上に武豊を迎えてからは一変。翌
年から有無を言わさぬ逃げで、ひたすら勝ち続け、
一気にファンの注目を浴びる。無敗のエルコンドル
パサー・グラスワンダーを負かした毎日王冠は今
だに語り草だが、天皇賞で超大逃げの途中に骨
折。あまりにあっけない最期だった。
(父) サクラスターオー
7戦4勝
 4-1-0-2
ガラスの脚を持った二冠馬。
生後2ヶ月で母を亡くす。足元との戦いが続いた
が、東信二騎手を背に弥生賞で有力馬を下し、皐
月で2馬身半をつけて快勝。しかし、繋靱帯炎が
重くなりダービーは回避。菊花賞も出走すら危ぶま
れたが、9番人気をあざ笑うような快勝。ファンの人
気を優先し、無理して出走した有馬記念で故障。
闘病むなしく5ヵ月後天に昇った。
サクラチトセオー
21戦9勝
 9-3-3-6
サクラブランドを守った中距離の強者。
デビュー2連勝の勢いを味方にダービーに出走し
たが11着。条件馬に戻ったが、翌年は格上挑戦で
中山記念を豪快に差し切り。京王杯AHではレコー
ドも出した。更に翌年は重賞の上位に絡み続け、
秋の天皇賞では悲願のGT制覇。妹のサクラキャ
ンドルも、エリザベス女王杯を制している。
(父) サクラチヨノオー
10戦5勝
 5-1-1-3
人気に恵まれなかった実力馬。
七夕賞などを勝ったサクラトウコウを上回ることを期
待して生産されたマルゼンスキーの仔。大相撲の
千代の富士にあやかって命名。デビューから圧倒
的な人気に応えて圧勝を続けた。朝日杯を優勝し
たものの、いつしか関西のサッカーボーイに人気が
傾いていたが、弥生賞でライバルを下して名声を
呼び戻し、ハイペースに巻き込まれた皐月賞は逃
したが、ダービーでは差し返す根性を見せ優勝。し
かしこの時裏街道でオグリキャップが驀進してお
り、主役を張ることはなかった。
(父) サクラバクシンオー
21戦11勝
 11-2-1-7
スプリンターズS連覇。
12〜1400に勝ちが集中しているが、マイルでも大
崩はしていない。特に'94のマイルCSはノースフラ
イトとの一騎打ちになり、ファンを湧かせた。引退レ
ースは、スプリンターズSを4馬身ちぎり、見事なラ
ストランを見せた。父親としても、ショウナンカンプを
はじめ短距離に強い産駒を多く出している。
サクラユタカオー
12戦6勝
 6-1-0-5
サクラブランドの代表種牡馬。
故障により3歳時では思うように走れなかったが、
4歳にサンケイ大阪杯で重賞初制覇。春の天皇賞
は惨敗し休養に入るが、明けて秋は毎日王冠をレ
コード勝ちした勢いで、大外に入った秋の天皇賞も
レコード勝ち。JC・有馬は勝てずに引退したが、種
牡馬としては、サクラバクシンオー・エアジハードな
どGT・重賞ウイナーを数多く輩出し、内国産種牡
馬のエースにのし上がった。
サクラローレル
22戦9勝
 9-5-4-4
名門サクラを代表する名傑。
度重なる故障の後、5歳に中山記念を勝ち、春の
天皇賞でマヤノトップガン・ナリタブライアンの2頭
の年度代表馬をまとめて負かす。有馬記念で、不
覚を取った秋の天皇賞の借りを返し、翌年凱旋門
賞を目指して渡仏するも、前哨戦のフォア賞直後
に故障が判明、引退した。
サッカーボーイ
11戦6勝
 6-0-2-3
「弾丸シュート」マイラー。
2歳時にことごとく楽勝し、テンポイントの再来と言
われるが、3歳ではツキに見放され、クラシックは
未勝利。針路変更し、マイルCSではプラス18キロ
で圧勝。有馬はゲートで暴れて軽症し3着。その後
も故障続きで引退する。父となり、ナリタトップロー
ド・ヒシミラクルを出し、適性は必ずしも短距離では
なかったことを証明。
(父) ザッツザプレンティ
16戦3勝
 3-3-2-8
同馬主の3冠達成を阻止。
父は菊花賞馬ダンスインザダーク。名馬の登竜門
となるラジオたんぱ杯を優勝。弥生賞を一番人気
で迎えたが落鉄で敗退。そこから第一線で苦戦を
続けて、菊花賞。同じ社台レースホースが持ち馬
のネオユニヴァースの三冠がかかったレースであ
ったが、ザッツ鞍上の安藤騎手は早め抜け出しを
指示。最後までライバルに抜かせず、皮肉にも同
じ勝負服での三冠阻止となった。しかし、親子二代
連続での菊制覇、サンデー孫産駒GT優勝第一
号の栄誉を得たことになる。
サニーブライアン
10戦4勝
 4-1-1-4
逃げの人気薄2冠馬。
皐月賞は11番人気で逃げ切り。しかしファンはダ
ービーで彼を6番人気に評価。それを覆す上がり3
ハロン35.1という足でダービー制覇。「一番人気は
いらない。一着が欲しい。」という大西騎手の名言
は有名。しかし、直後に骨折が判明。さらに翌年屈
腱炎も発症し、ダービー以降ついにターフに戻るこ
とは無かった。
(地) サンオーイ
29戦13勝
 13-2-4-10
'80代を代表する、大井出の地方出身馬。
南関東3冠馬として鳴り物入りで中央入り。安田
記念3着、札幌記念2着の後、既に2冠を戴いてい
るミスターシービーと毎日王冠で対戦。結果は、カ
ツラギエースに破れ、その後の成績もパッとしなか
ったが、「3強が並んだ!3強が並んだ!」の名実
況と供に語り継がれる素晴らしいレースをした。
(外) シーキングザダイヤ
30戦7勝
 7-9-2-12
ニュージーランドT・日本テレビ盃・浦和記念
 ・アーリントンC・兵庫ゴールドT
地方を含めた、最多GT2着馬。
デビュー当初は芝を使い、2戦目から4連勝。母が勝ったモーリスドゲスト賞に挑戦したが惨敗。直後からダートに転向し、4歳川崎記念から交流・中央GTを立て続けて2着。4連続など含め、通算9回を記録したが、遂にGTに手が届かなかった。しかし喉鳴症を患い手術を施しながらの善戦であったことは評価に値する。引退後は種牡馬入りした。
(外) シーキングザパール
21戦8勝
 8-2-3-8
日本調教馬初の海外GTホース。
喉の手術で距離に限界が来てしまったが、牝馬な
がらNHKマイルカップを制し、天才ぶりを発揮。タイ
キシャトルのジャックルマロワ賞制覇の前週、ヨー
ロッパのモーリスド・ギース(ゲスト)賞を勝利。これ
は、日本調教馬の記念すべき海外GT制覇第一
号となった。
(父) シーザリオ
6戦5勝
 5-1-0-0
日米オークス制覇。
シェークスピアの「十二夜」でヒロインが男装したと
きの名。父は、ダービー馬スペシャルウィーク。デ
ビュー3連勝で桜花賞出走。ラインクラフトに鞍上を
譲り、そのライバルにアタマ差及ばず2着。しかし、
福永騎手が戻ったオークスでは後方待機から、直
線一気・上がり33.3を繰り出し、豪快に優勝した。
続いて渡米し、アメリカンオークスに出走。大外枠
から、他馬を全く問題にせず4馬身差の圧勝。見
事に日米のオークスをものにした。
シービークロス
26戦7勝
 7-2-5-12
金杯(東)・毎日王冠・目黒記念(秋) 追い込みにとことんこだわった、「稲妻」の父。
クラシックでは特に目立たなかったが、明け4歳で
金杯を勝利。秋に重賞をレコードで連勝し、種牡馬
入りするが、種馬失格の烙印を押される。やむを得
ず現役復帰、初戦で見事な追い込み勝ちを披露し
再び種馬としての価値を上げた。そうして生まれて
きたのが、春秋天皇賞馬タマモクロスや、菊花賞2
着のホワイトストーンである。
ジェニュイン
21戦5勝
 5-7-1-8
SS産駒初のクラシックホース。
アメリカに同名の馬がおり、松山調教師がその名
をつけた。皐月賞を優勝してこれ以降のサンデー
産駒隆盛ののろしを上げた。ダービーは同じくサン
デー産駒のタヤスツヨシに惜敗。結果的に長距離
が不向きだったとは言い切れないが、その後秋の
天皇賞を使い、そこは大敗したものの、翌年はマイ
ルCSを優勝。中距離型3歳馬の新しい方向性を
示した。
(父) シスタートウショウ
12戦4勝
 4-2-0-6
清く正しい良血の後継者。
デビュー3連勝から一気にクラシックの舞台に駆け
上がり、桜花賞を完勝。続くオークスでは、桜花賞
で落鉄したイソノルーブル相手に、もの凄い脚で追
い込んだが惜しくも2着。秋は出走できなかった
が、2年後の安田記念に4着するなどした。姪に、
現在スプリント路線で活躍しているシーイズトウシ
ョウがいる。
シャダイカグラ
11戦7勝
 7-3-0-1
疑惑の出遅れ桜花賞馬。
20キロ絞った新馬二戦目で初勝利。ソエに苦しん
だが、療養後は勝ち続け桜花賞へ。大外18番枠
からのスタートで後手を踏んだが、ゴール寸前で差
し切り勝ち。このレースは、鞍上武豊騎手がわざと
出遅れたという説も有力である。オークス2着、ロ
ーズSを優勝し、三冠目に臨んだが故障からシン
ガリ負けし、引退。それまでは生涯全連対というた
いへん安定した成績であった。
ジャングルポケット
13戦5勝
 5-3-2-3
内国産の牙城を守った若き兵。
フジキセキと同じ馬主・調教師・厩務員・騎手の
下、早々と能力を認められるも、アグネスタキオン
に行く手を阻まれる。が、彼の引退後、ダービーで
ライバルの外国産馬クロフネを敗り、世代最強に君
臨。菊花賞は負けたが、JCで、3歳にして覇王テ
イエムオペラオーを競り負かした。種牡馬になって
はオークス馬トールポピーを産み、産駒にも東京
2400mGTの勝馬を出した。
[外] ジュピターアイランド
 (イギリス)
41戦14勝
 14-4-6-17
'86年度JC優勝馬。
'86のJCでは、8番人気・7歳の高齢も苦にせず、
サクラユタカオーやミホシンザンなどを従え、アレミ
ロードとの叩き合いを制して優勝した。
(父) ショウナンカンプ
19戦8勝
 8-1-3-7
一度もハナを譲らなかったスプリントの逃げ馬。
この馬もダート出身だったが、芝を使われると3連
勝で一気に高松宮記念を勝利し、サクラユタカオー
−サクラバクシンオーに次いで3代連続GT制覇を
成した。その後も、主要短距離戦で活躍し、ビリー
ヴ・アドマイヤコジーンなどど名勝負を演じる。浅屈
腱炎で引退した。
シルクジャスティス
27戦5勝
 5-3-3-16
3歳にて道を究めた、グランプリホース。
初勝利は遅れたが、京都4歳特別から勝ち上が
り、ダービーは3番人気。猛烈に追い込んだが、マ
ークが薄い皐月賞馬に逃切りを許した。秋は不可
解なレース運びだったが、最後の有馬記念でエア
グルーヴ・マーベラスサンデーの間を割って優勝。
しかし、それ以来着順は落ちる一方で、掴み所の
無い馬であった。
シルクプリマドンナ
15戦3勝
 3-1-1-10
山内厩舎自慢、二枚看板のひとり。
クラシック前哨戦では、サイコーキララの光の影に
隠れる存在だったが、4歳牝馬特別2着、桜花賞3
着と、地道に力を発揮し、オークスでは、同厩舎の
桜花賞馬チアズグレイスを抑え見事に優勝。だが
早熟だったのか、牝馬限定の長距離レースの少な
さに泣いたのか、これ以降目立つ成績が挙げられ
ずに繁殖入りした。
[外] シングスピール
 (イギリス)
20戦9勝
 9-8-0-3

  加インターナショナルS・コロネーションS
  ・英インターナショナルS
'96年度JC優勝馬。
4歳半ばまでなかなかGTを勝てなったが、カナダ
の遠征が当たりGT初制覇、その後初ダートの'97
のドバイWCも勝利し、芝・ダートを問わない活躍を
見せた。産駒のMoon Balladも、GTとなったドバイ
WCを制覇し親子2代での快挙。日本の産駒で
は、安田記念を制したアサクサデンエンや、中山
記念などを勝ったローエングリンがいる。
シンコウウインディ
 17戦5勝
 5-3-1-8
初の中央ダートGT優勝馬。
他の馬に噛み付く癖があり、ブリンカーをさせられ
た経緯を持つ。ダートを中心に好成績をあげ、初重
賞のユニコーンSでは2位入線だったが、バトルラ
インの降着により繰り上がり優勝。平安ステークス
では、トーヨーシアトルと同着優勝。そして、GT昇
格第一回のフェブラリーSで、今度こそ文句なしの
勝利。ダートの歴史に第一歩を記した。
(外) シンコウフォレスト
29戦9勝
 9-1-4-15
欧州に渡った良血スプリンター。
始めはダートのスプリント戦に強かったが、セントウ
ルSを勝ち、芝での適正も証明。最初の高松宮杯
は惜しくも破れたが、翌年雨の高松宮記念を制
す。その後、不振に喘いだが、函館SSでGT馬の
力を示す。引退後は、アイルランド・イギリスで種牡
馬生活を送っている。
(外) シンコウラブリイ
15戦10勝
 10-2-2-1
短距離にこだわった名牝。
マル外のため、クラシックは使えず、生涯にわたり
2000m未満のレースを中心に使い、牝馬ながら3
着から外れたのはわずかに一回。レコードも二回
出している。古馬GTでは、マイルCS2着、安田
記念3着と好成績を残し、オープンから3連勝の流
れのまま、不良のマイルCSを一番人気で制圧。
シンザン
19戦15勝
 15-4-0-0

サラブレッド達にとっての偉大なる目標。
「ナタの切れ味」と評され、圧倒的な強さはないも
のの、確実にレースで勝ち負けし、一度も連を外す
ことはなかった。二冠獲得後は、京都の猛暑に襲
われ、トライアルを2連敗。しかし菊花賞は完勝し、
戦後初の三冠馬に。翌年は、宝塚・秋天を勝利。
オープンから連闘で臨んだ有馬記念は、ライバル
の秘策を退け、五冠馬となった。
(外) シンボリクリスエス
15戦8勝
 8-2-4-1

シンボリ軍団の忠実な継承者。
ダービーは、スムーズなレースをしながら2着だっ
たが、秋は古馬に挑戦し、中山で3歳にして天皇
賞を勝利。JCは外国勢に上位を譲るも、有馬記念
できっちり勝利。翌年も同レースをそれぞれ連覇
し、2年連続で年度代表馬に輝く。特に引退レース
の有馬記念は、レコードで後続を9馬身ちぎる離れ
業を見せ、当日行われた引退式に自ら花を添え
た。産駒には、サクセスブロッケンなどダートに強
い馬も出ている。
シンボリルドルフ
16戦13勝
 13-1-1-1


日本最強の皇帝。
初の無敗3冠を達成。中一週のJCこそ3着だった
が、有馬で逆襲。4歳になっても、先輩3冠馬ミス
ターシービー他を全く問題にせず勝ち鞍を重ね、G
T勝利は最多の7つを数え、2度目の年度代表馬
は満票で選ばれた。特に最後の有馬では、2冠馬
ミホシンザンを完膚無きまでに叩きのめす。海外で
故障し負けるが、種牡馬になりトウカイテイオーを
出し、親子で競馬界を席巻した。
スイープトウショウ
24戦8勝
 8-4-2-10
緑のグランプリ牝馬。
阪神JFで一番人気になるなど、早くから注目されていたが、GT制覇は秋華賞まで時間を要した。翌年安田記念に2着し類稀なるスピードを示しすと、続く宝塚記念でゼンノロブロイやハーツクライらを蹴散らし、阪神2200に定着して以来、初の牝馬戴冠となった。秋もエ女王杯を制し、最優秀古馬牝馬に選出。本馬場入場を嫌う癖は古馬でも直らず、馬場で暴れてケガしたり、調教で走らずレースを回避したりと、かなりの気分屋でもあった。
スーパークリーク
16戦8勝
 8-2-2-4
若き天才が初めて出会った、最強ステイヤー。
裏街道から勝ち上がりダービー出走も可能だった
が、骨折で棒に振る。秋は菊の優先出走権を逃し
たが、マイネルの岡田氏が「本当に強い馬を出す
べき」と、自分の馬を回避させ、滑り込みで出走。
そして武豊に初のGTタイトルをプレゼントした。古
馬になってはイナリワン・オグリキャップとライバル
関係になり、結果天皇賞を秋・春と制した。
(外) スキーキャプテン
6戦3勝
 3-1-0-2
きさらぎ賞 白い主将が憧れたアメリカンドリーム。
豊に初の海外GTタイトルを与えた、スキーパラダ
イスの半弟。デビュー2連勝後、朝日杯に出走した
が、サンデー初産駒フジキセキに、僅かに及ばず。
NHKマイルも無い時代、外国産馬の彼は米国に
目を向け、叩きのきさらぎ賞を完勝。JRA所属馬と
して初の、ケンタッキーダービー出走を果たす。帰
国後は脚部不安に悩まされ一戦だけで引退した。
(抽) スターロッチ
25戦9勝
 9-2-7-7
日本古来の優秀な牝系の祖。
彼女の血脈はサクラユタカオー・ウイニングチケッ
ト・サクラスターオー・ハードバージにも受け継がれ
ている。そんな彼女だが、出自は抽選馬。新馬戦
を使わず、未勝利から抽選馬限定戦などを経て勝
ち上がりクラシックへ。桜花賞では差の無い3着に
留まったが、オークスでは素晴らしい脚を使って優
勝。この年の第5回有馬記念出走馬に推薦され、
道中二番手から無欲の勝利。只一頭の3歳牝馬
での覇者となった。
[外] スタネーラ
 (アイルランド)
23戦7勝
 7-2-3-11

  ジョーマクグラスメモリアルS
'83年度JC優勝馬。
前年のジャパンCにも出走し、ハーフアイストの4
着。二年越しで日本の国際GTを制覇。この年
は、彼女の当たり年で、欧州でも重賞を3勝した。
スダホーク
30戦6勝
 6-4-3-17
弥生賞・アメリカJCC・京都記念
 ・阪神大賞典
元祖、芦毛の強豪馬。
弥生賞まで3勝したが、日本ダービー・菊花賞いず
れも2着ともう一歩の所で涙を飲んだ。暮れの有馬
記念では皇帝に挑むも4着。4歳になりAJCC、京
都記念を勝った後出走した天皇賞・春では一番人
気に支持されるが7着。5歳時に阪神大賞典に勝
ち天皇賞・春は3着。6歳でも宝塚記念で3着にな
るなど堅実に走りつづけた。
ステイゴールド
50戦7勝
 7-12-8-23
ラストランで手にした悲願のGT。
菊花賞以降、出走したGTは20戦。GT2着が4
回あったが、重賞勝ちには恵まれず、38戦目の目
黒記念でやっと勝利。GT価値に匹敵する歓声を
浴びた。'01は、日経新春杯勝ちに続き、ドバイシ
ーマCで世界最強馬を相手に勝利。ラストランとな
った香港ヴァーズで、先行馬を豪快に差し切り、初
の内国産馬海外GT勝利となった。父としては、2
歳チャンプ・ドリームジャーニーを出した。
スティルインラブ
16戦5勝
 5-2-1-8
2番人気の三冠牝馬。
三冠全て人気はアドマイヤグルーヴに譲った。だ
が春二冠はグルーヴの出遅れを尻目に800mの距
離差をものともせず、いずれも直線半ばで抜け出し
完勝。秋初戦は完敗したが、本番ではライバルの
猛追を退け史上二頭目の牝馬三冠を達成した。続
くエリザベス女王杯で逆転されてからは勝ち鞍が
挙がらず、繁殖に回っては7歳で早世、わずか1産
駒だけ残すという不遇な後半生だった。
スピードシンボリ
43戦17勝
 17-5-5-26

海外で得た実力は本物。
菊花賞2着を皮切りに、重賞連覇後一気に天皇賞
を勝利。その後アメリカに遠征し5着を確保。日本
に帰り勝ち負けを繰り返した後、再び海外へ。キン
グジョージや凱旋門賞に参戦。結果は出なかった
が、帰国後有馬記念を連覇。年度代表馬には2回
選出された。種牡馬になり、孫に皇帝シンボリルド
ルフを出した。
スペシャルウィーク
17戦10勝
 10-4-2-1

豊を男にした、人気内国産ステイヤー。
折り紙つきの血統と、弥生賞完勝で早くから期待
されたが、皐月でまさかの3着。しかしダービーは
問答無用の5馬身差圧勝で、武豊に初めてダービ
ーのタイトルを与えた。菊でまたセイウンスカイに敗
れたが、古馬になっても強さは健在でGT3勝。し
かし両グランプリで外国産馬グラスワンダーに遂に
敵わず。最後の有馬はわずか4cm差に泣いた。
シーザリオ・ブエナビスタなど長距離に強い牝馬を
出している。
セイウンスカイ
13戦7勝
 7-1-1-4
正確かつ高速ラップを刻む、芦毛の逃亡者。
弥生賞で敗れたスペシャルウィーク・超良血キング
ヘイローを抑えて皐月賞を逃切り。ダービーで惨敗
したが、菊花賞を世界レコードで逃げ切り二冠達
成。札幌記念で自在性を見せたが、秋の天皇賞で
枠入り不良を起こし惨敗。屈腱炎に悩まされ、一
年半後の春天でも脚の痛みで走れずシンガリで、
引退。しかしゴール時には大きな拍手が起こった。
セイユウ
(アラブ馬)
 49戦26勝
 26-5-3-15
七夕賞・福島記念・セントライト記念 クラシック候補生を脅かしたアラブの星。
アラブ相手では全くの敵なし。相手をサラブレットに
求めると、初戦は軽ハンデも味方して重賞の七夕
賞を7馬身ぶっちぎった。続く福島記念も制した。さ
らにセントライト記念で菊花賞出走メンバーを撃
破。ついにGT級のレースは取れなかったが、名
牝ガーネツトをはじめクラシック・天皇賞馬に数多く
先着した。種牡馬生活も華やかで、年々種付け数
を増やし、最大1年238頭に種付けするほどまで
に。
セントライト
12戦9勝
 9-2-1-0
初の三冠馬。
トサミドリの半兄。かなりの大型馬で、当時の競走
馬規格に外れそうだったが、地面に窪地をつくり前
足を埋めて、体高検査にパスした。デビュー戦は
人気が無かったが、皐月賞・ダービー・菊花賞は
人気を集めて楽勝し、初めての三冠馬を達成。小
西騎手に「あんな楽なダービーは無かった。」と言
わしめた。種牡馬としてはクラシックホースも出して
それなりに活躍した。
(外) ゼンノエルシド
 18戦6勝
 6-1-1-10
一瞬降りたマイルの神。
デビュー当初はすぐ馬っ気を出すことでも有名だっ
たが、京成杯オータムHで、マイルの日本レコード
を樹立。スプリンターズSで大敗したが、マイルCS
ではペリエ騎手に乗り替わりGT戴冠。香港遠征
も実行したが、その後全く上位に加わることなく、
寂しく引退した。
ゼンノロブロイ
 20戦7勝
 7-6-4-3
史上二頭目の秋王道3連覇ホース。
青葉賞勝ちで頭角を現し、ダービー2着・神戸新聞
杯優勝で注目を集めた。しかし善戦するも勝ちきれ
ないスタイルは4歳秋緒戦まで続いた。秋の天皇
賞からペリエ騎手が手綱を取ると、今までの詰め
の甘さが嘘のように怒涛の3連覇。最後の有馬記
念はレコードを1秒も縮めるものだった。翌年イギリ
スインターナショナルSに出走し惜しくも2着。天皇
賞でも2着に敗れ、その後は後輩スターにバトンを
引き継ぐ形で引退した。
ソングオブウインド
 11戦3勝
 3-4-3-1
堅実で大胆な3冠阻止。
エルコンドルパサーの最終かつ代表産駒。初勝利まで5戦掛かったが、どれも3着以内。500万下から勝ち上がり、神戸新聞杯で出走権を得ると、メイショウサムソンの3冠が掛かる菊花賞で末脚が爆発。レコードで一気にGTホースに昇り詰めた。香港で4着に終わると浅屈腱炎を発症し放牧、そのまま引退した。国内で種牡馬入りし、早世した父の僅かな血脈を伝えることを期待されている。
(外) タイキシャトル
13戦11勝
 11-1-1-0

世界のマイラー。
ダートの短距離で圧倒的な強さを見せ、その脚は
芝でも生き、3歳時で簡単にマイルCS・スプリンタ
ーズSを制覇。翌年、不良の安田記念も難無く制
し、フランスへ。伝統のGT・ジャックルマロワ賞を
勝利し、世界のスピードを持つことを証明した。帰
国後、マイルCSを楽勝するも、最後のスプリンター
ズSで、初めて連を外す。産駒はメイショウボーラ
ー・ウインクリューガー等、やはりマイル前後で活
躍する者が多いようだ。
(外) タイキブリザード
23戦6勝
6-8-2-7
海外を視野に入れたオールラウンダー。
外国産馬のため、裏街道を行き、重賞2着が続い
たが、混合GTでも好走を続けて常連となる。5歳
で産経大阪杯を勝ち待望の重賞制覇。そして3度
目の安田記念を勝って、陣営の目は外国へ。2年
連続BCクラシックに挑戦したがいずれも大敗。し
かし、これが後の日本馬海外GT獲得への大きな
足がかりとなった。
[地] ダイコウガルダン
 (宇都宮)
56戦22勝
22-9-6-19
宇都宮を代表する、NAR年度代表馬。
北関東ダービーを8番人気で制す。古馬になって、
本格化し、南部杯、金盃、大井記念、東京大賞
典、川崎記念、東京記念などを勝つ。中央で2戦
するもいずれも惨敗。しかし、NAR年度代表には2
年連続で選出されている。
(父) ダイタクヘリオス
35戦10勝
10-6-1-18
テーマは、あくまでもスピード勝負。
マイルチャンピオンシップを連覇。安田記念の2着
もあり、レコードは3回出した。希代の高速名馬で
あるが、2000m以上のレースになると、淀みの無
いハイペースを生み出し大波乱を巻き起こす演出
家に転身。レッツゴーターキンの天皇賞や、ダイユ
ウサクの有馬記念、メジロパーマーの有馬記念
と、印象的なレースを作り上げた。
(父) ダイタクヤマト
40戦10勝
10-6-5-19
スプリンターズSを最低人気で制す。
父は、マイル王ダイタクヘリオス。2000年のスプリ
ンターズSで6歳で出走したダイタクヤマトは16頭
中16番目の単勝人気で出走。人気薄で強い江田
照男騎手を鞍上に、1・2番人気を従えて優勝。単
勝配当は25750円をつけた。これはフロックではな
く、以降も短距離重賞で勝ち負けに加わり晩成ぶ
りを発揮した。
ダイナカール
18戦5勝
5-3-4-6
母娘3代GT(級)制覇の初代。
2番人気の単枠指定で臨んだオークスでは、ゴー
ル板で5頭が横一直線になる大激戦となったが、
ハナ差で制したのがこの馬だった。最優秀3歳牝
馬に選ばれ、翌年は牡馬の壁に苦しみ勝ち星に
恵まれなかったものの、最優秀古馬牝馬に選出。
母としては、2代連続でオークスを牝馬として天皇
賞を勝ったエアグルーヴを輩出。その仔もエリザベ
ス女王杯を連覇し、血脈が定着した。
ダイナガリバー
13戦5勝
 5-2-1-5
社台グループ初のダービー馬。
共同通信杯4歳Sで楽勝したが、皐月賞では10着
に終わった。続くダービーでは好位から早めに抜け
出し、追いすがるグランパスドリームの追撃を交わ
し優勝。菊花賞はメジロデュレンの2着。有馬記念
で天皇賞馬3頭と3冠牝馬メジロラモーヌを破り、
年度代表馬を勝ち取った。桜花賞馬ファイトガリバ
ーの父。
(父) ダイナナホウシュウ
29戦23勝
 23-2-2-2
史上最多勝の「褐色の弾丸列車」。
400キロを下回る小さな関西馬だったが、レースを
重ねるごとに強さを増す。不良の皐月賞で、関東
のライバルタカオー以下を大きく引き離す。しかし、
NHK盃で連勝は途切れ、ダービーも不利を被り敗
北。だが連闘を重ねつつ、なんと35戦目の菊花賞
を圧勝。4歳春に屈腱炎になるが、克服して秋の
盾も奪取。史上最多勝の記録を残して引退した。
タイムパラドックス
50戦16勝
 16-7-8-19

安定感抜群のダートの鉄人。
ダートデビューで2連勝。青葉賞に挑戦したが惨敗し以降は全てダートに専念。条件戦を着実に勝ち上がっていったが、5歳に重賞参戦を一つだけと無理強いをせず。6歳にして重賞を4勝し掲示板を外さない安定感を得ると、JCダートで初のGT勝ち。翌年も決して着順を崩さない好走をし、さすがに8歳で衰えを見せたが、JBCを制し古豪の意地を見せた。
ダイユウサク
38戦11勝
 11-5-2-20
有馬記念元レコードホルダー。
メジロマックイーンが一番人気で抜け出した中山の
直線で、間を割って一気に先頭を奪い優勝。その
時のレコードタイムは12年もの間破られなかった。
全く自信がなかったオーナーは有馬記念当日、中
山におらず、取引先の忘年会に出席していたとい
う。
ダイワスカーレット
12戦8勝
 8-4-0-0

ダービー牝馬の永遠のライバル。
チューリップ賞で初めてウオッカと対決し2着。しかしGT・桜花賞では逆に完封した。オークスは回避したが、秋華賞・エリザベス女王杯を難なく制した。翌年は一度牡馬たちを軽くあしらった後、運命の天皇賞で、休み明けもものかは1回交わされたウオッカに猛然と迫り並入したが、わずかに2cm及ばなかった。有馬記念は完璧に逃げ切り、ダート・海外へ目を向けた矢先、屈腱炎で引退。生涯全12連対は、GT級馬ではシンザンに続く記録。
ダイワメジャー
28戦9勝
 9-4-5-10

大病を克服したクラシックホース。
1勝馬ながらTRで権利を掴み皐月賞へ。コスモバルクらを抑え先行押し切りで優勝。その後全く良績が挙げられず一発屋かと思われたのは、喉鳴症が原因であった。陣営は手術を決断。マイル重賞で勝負になる程回復した。着順が安定した5歳の秋には天皇賞を制し古馬中距離王の地位に到達。さらにマイルGTを3連覇しマイル王としても一時代を築いた。妹は二冠牝馬ダイワスカーレット。
タカラスチール
32戦8勝
 11-5-2-20
逃したクラシックの借りは同じマイルの舞台で。
3歳時、新春4歳牝馬特別・クイーンCと連勝した
が、4歳牝馬特別・桜花賞共に同じ脚質のエルプ
スに敗れ、クラシックには縁がなった。しかし、その
後OP特別や、関谷記念を確実に勝利。その後も
マイル前後の距離で安定した成績を収め、遂にマ
イルCSで翌年の覇者ニッポーテイオーをハナ差で
押さえて優勝。だが産駒を2頭だけ残し早世した。
タケシバオー
29戦16勝
 16-10-1-2
元祖オールラウンダー。
早くから芝・ダートを問わない強さを見せ付けるが、
春2冠を逃し、秋は海外にも行った。4歳の東京新
聞杯勝利から、天皇賞も含め、不良もダートも短距
離も長距離も全く苦にせず8連勝。うちレコードは4
回。再度渡米するもまたシンガリ負け。しかし、初
の1億円ホースとなり、種牡馬としても成功した。
タケホープ
19戦7勝
 7-0-3-9
競馬界最大のヒール役。
オークス馬タケフブキの弟。空前の単勝支持率で
一番人気になったハイセイコーを、ダービーで撃沈
させた。再対決となった菊花賞で、抜け出したライ
バルに一完歩ずつ競り寄り、ハナ差で勝利。年度
代表馬の座をも奪った。後に春の天皇賞も勝利。
華やかな競争生活とは裏腹に、種牡馬としてはス
テイヤーゆえに結果が出せなかったのが残念。
(外) タップダンスシチー
42戦12勝
 12-6-6-18
頂点を求め続けた、超晩成馬。
朝日チャレンジCをレコードで制し、一躍注目を集
めると、5歳の有馬記念で最強3歳牝馬を惑わした
先行策で2着する。以降、JCの9馬身差勝を含め
主要GTで常に勝ち負けに絡む活躍を見せる。8
歳でなお凱旋門賞にも果敢に挑戦し、競馬界の頂
点争いにしのぎを削った。同一重賞3連覇(金鯱
賞)の快挙も達成。
タニノギムレット
8戦5勝
 5-1-2-0
ダービー牝馬はダービー馬から。
重賞を3連勝し、圧倒的な一番人気で皐月賞に出
たが、追い込み届かず3着。松田国英師持論のロ
ーテでNHKマイルにも出走したが、これも前が詰
まって壁になり敗北。しかしダービーではきっちり
前を捕らえて今度こそ優勝。が、休養明けで屈腱
炎引退。松田師にとって、クロフネに続く無念の結
末だった。初年度産駒にダービー牝馬ウオッカを出
し、これからの種牡馬能力が大いに期待される。
タニノムーティエ
18戦12勝
 12-2-0-4
オーナーのわがままで逃した三冠。
馬主の意向で徹底的に使われ、2歳から9戦を消
化。クラシックはアローエクスプレスとの対決が続
き、フジテレビ賞・皐月賞を連勝。NHK杯は鞍上
のゴール誤認もあり敗北したが、調教師が自信を
持って出たダービーでは圧勝。だがその後、馬主
が同馬を自宅近くで飼う事を強行し、結果喘鳴症
にかかり、秋は菊花賞を含め3戦全て大敗した。
(父) タマモクロス
18戦9勝
 9-3-2-4
昭和の末期競馬ブームの立役者的、名芦毛馬。
クラシックには間に合わなかったものの、叩き上げ
で4歳時に春天・宝塚を快勝し、ステイヤーの最高
位まで上り詰める。秋の天皇賞は、オグリキャップ
との初対決を先行策で制し、春秋連覇も史上初で
達成。JC・有馬を含め秋のGT3戦は、オグリキャ
ップとの芦毛対決を繰り広げ、競馬を大きく盛り上
げて、「白い稲妻」と称された。
タヤスツヨシ
13戦4勝
 4-3-2-4
サンデーサイレンス産駒ダービー馬の第一号。
デビュー3戦目で勝ちあがり、ラジオたんぱ杯3歳
Sをハナ差で勝利。フジキセキ不在のクラシック路
線でも、同じサンデー産駒のジェニュインと肩を並
べて走り、ダービーでは皐月賞での1・2着を逆転
して優勝。しかし、秋には精彩を欠き、TR、菊花賞
と不可解な凡走を繰り返し、その後故障発生。復
活ならず引退となった。産駒にはダート巧者が多
い。
ダンスインザダーク
8戦5勝
 5-2-1-0
執念で掴んだ、ただ一つの勲章。
ダンスパートナーの全弟。皐月賞を熱発で回避。T
Rを勝ち上がり、ダービー制覇は間違いないと言わ
れたが、音速の末脚に屈した。菊花賞では、鞍上
武豊騎手の末脚に賭ける作戦に応えて、見事にそ
の借りを返した。上がりは33.8だった。屈腱炎で3
歳のまま引退を余儀なくされたが、現段階では有
力サンデー後継種馬として常にリーディング上位を
キープ。同じく菊を制した息子を2頭出した。
ダンスインザムード
25戦6勝
 6-6-1-12
ダンス3兄弟の天才マイル娘。
デビュー3連勝で重賞を勝ち、その勢いのまま桜花賞を無敗で完勝。オークス惨敗の後渡米し米オークスに挑戦し惜しくも2着。3冠目の秋華賞も敗れたが、果敢に古馬牡馬に挑戦し、天皇賞・マイルCSと連続2着して天才振りを改めて見せ付けた。4歳は秋天3着以外は不振だったが、翌年開設されたヴィクトリアマイルの初代女王に輝き、夏はGVながら米キャッシュコールマイルを優勝。マイルCSはまたも2着に入線した。
ダンスパートナー
25戦4勝
 4-9-3-9
挑戦をし続けた、ダンス3兄弟の長女。
桜花賞は惜しくも2着だったが、オークスを見事に
制覇。続いてフランスに目を向け、ノネット賞2着・
ヴェルメイユ賞6着の結果を残す。帰国後は果敢に
も菊花賞に挑戦し5着と健闘する。京阪杯勝利
は、サンデー産駒初の古馬重賞勝利。エリザベス
女王杯は2年連続で連対を果たし、牡馬相手でも
引けを取らないレースを続けた。
(外) ダンツシアトル
14戦8勝
 8-0-2-4
宝塚記念(京都)レコードホルダー。
若い頃は注目を浴びながらも屈腱炎に見舞われ順
調に使えなかったが、5歳の宝塚記念(京都開催)
で超高速タイムで初の戴冠。だがこのレース、ライ
スシャワーが故障したことがあまりに劇的だったの
は、せっかくの優勝が目立たなくなったシアトルに
とっても悲劇であった。
ダンツフレーム
26戦6勝
 6-6-0-14
GT戦線の名脇役。
最強世代と言われた中、皐月賞・アグネスタキオ
ン2着、ダービー・ジャングルポケット2着と堅実な
レースを見せる。必ず上位に絡みながらも勝ちきれ
ない日々が続く中、翌年の宝塚で初タイトルを獲
得。その後も浦和競馬で活躍し、ダートGTにも出
走を果たした。
チアズグレイス
11戦3勝
 3-3-0-5
山内厩舎旋風の立役者。
新馬勝ち以降、2勝止まり、トライアルも不良だっ
たとは言え10着と苦しい状況ながら、OP特別で歯
が立たなかったサイコーキララなどを抑え桜花賞を
6番人気で優勝。オークスは中団待機策に出た
が、同厩舎のシルクプリマドンナに及ばなかった。
秋華賞は4着敗退したが、最優秀3歳牝馬のタイト
ルを確保。しかし、それ以降ターフを走ることは無
かった。
チョウカイキャロル
 12戦4勝
 4-4-1-3
ミホノブルボンの影武者。
逃げの二冠馬とそっくりで上記の異名を持つ。フラ
ワーC3着で桜花賞出走を逃したが、忘れな草賞
から勝ち上がり、オークスを優勝。しかし、エリザベ
ス女王杯でヒシアマゾンに敗れてからは影が薄く
なってしまった。だが、中京記念優勝、京阪杯2着
と、男馬に混ざりながらもその実力を発揮した。
ツインターボ
35戦6勝
 6-2-0-27
ラジオたんぱ賞・七夕賞・オールカマー 先を走る馬を許さない、ターフの指名手配犯。
ペース配分などまるで考えていないような捨て身
の逃げで、多くのファンの心を掴む。青葉賞で逃げ
足が尽きクラシックへの夢は費えたが、「残念ダー
ビー」と言われたラジオたんぱ賞では持ち味を遺憾
なく発揮。一時期不振が続いたが、七夕賞・オー
ルカマーと見事な逃切りを演じ、競馬のエンターテ
イメント性を大いに高めた。
(父) ツルマルボーイ
32戦7勝
 7-6-3-16
準和製良血の仕事人。
父はダンスインザダーク、母父はサッカーボーイ。
デビュー戦は勝ったが、勝ち星が伸ばせず、初重
賞勝利は4歳の中京記念。しかし、ダンツフレーム
の宝塚記念2着以降未勝利ながら堅実なレースを
見せ、GT2着は3回。6歳の安田記念で絶好調
の安藤騎手を背に、ようやくGT制覇。ダンスイン
ザダーク産駆初の種牡馬となる。
(市) ディープインパクト
14戦12勝
 12-1-0-1


衝撃の7冠馬。
早くから非凡な才能を見せつけ注目を浴びる。三冠を当然のように無敗で制したが、有馬記念で初黒星。翌年春を無難にこなし、日本全国の期待を受け凱旋門賞に出走したが3位入線、しかも薬物反応が出て失格となった。末2戦はその鬱憤を晴らす快勝劇で、改めて史上最強を意識させた。単勝オッズは全レース1.3倍以下、菊花賞では支持率79%という人気ぶりであった。
(父) ディープスカイ
17戦5勝
 5-7-3-2
電光石火の変則2冠馬。
3歳の3月半ばまで8戦1勝の平凡な馬だったが、初めて四位騎手を迎えた毎日杯を完勝し一気に注目される存在に。NHKマイルを難なく勝利したことで、鞍上の進言もあり急遽ダービ−に参戦。大外から豪快に差し切り世代の頂点に立った。神戸新聞杯優勝を足がかりに秋の天皇賞に挑戦したが、歴史的女傑二頭に続く3着、続くJCは2着と惜敗続き。明け4歳の春もGTに善戦したものの勝ちきれず、凱旋門出走を諦めた矢先、屈腱炎を発症し引退が決まった。
テイエムオーシャン
18戦7勝
 7-1-4-6
スピード自慢の良血嬢。
父はダンシングブレーヴ・祖母は桜花賞馬エルプス。阪神3歳牝馬Sを圧勝して当時の最優秀3歳牝馬を受賞。チューリップ賞も完勝し、断然の支持を受け祖母と同じく桜花賞を勝ち、重賞3連勝。オークスは敗れたが、休み明けの秋華賞を勝利。当年から年齢表記法が変わったため、2年連続で最優秀3歳牝馬に選ばれた。翌年秋は札幌記念優勝をきっかけに牡馬王道に挑戦したが結果は残せず、翌年のマーメイドS2着を最高に引退した。
(市) テイエムオペラオー
26戦14勝
 14-6-3-3


JRA最高賞金獲得覇王。
3歳では皐月賞勝利後、ライバル2頭にクラシック
をもぎ取られたが、4歳で古馬中長距離GTを完全
制覇。前哨戦も全て制し8戦無敗で、満票にて年
度代表馬に選出される。さらに翌年の天皇賞まで
GTを6戦連続で勝利。その後先頭ゴールは無か
ったが、最後まで一番人気を背負い、競馬界のトッ
プを走り続けた。GT・重賞共に最多勝記録を保持
し、賞金は世界史上最高額を記録。
(父) ティコティコタック
 22戦4勝
 4-2-4-12
第5回秋華賞馬。
ラテンミュージックから命名された彼女は、荒れる
秋華賞の流れを引き継ぎ、2000年のレースを-20
キロ・10番人気で先行し勝利。武幸四郎騎手に初
のGTタイトルをプレゼント。その後も、府中牝馬
S・中山牝馬S2着・エリザベス女王杯3着と牝馬
限定レースで好結果を残す。
テスコガビー
10戦7勝
 7-1-1-1
唯一の桜花賞大差勝ち馬。
オーナーの隣に住んでいた娘から命名。圧勝続き
の中、同じ逃げの脚質で無敗のカブラヤオーと対
決、惜しくも敗れた。が、牝馬相手では、桜花賞を
大差、オークスは8馬身差勝ち。もしカブラヤオー
がいなければ、牡馬クラシック路線進出も本気で
考えられたに違いない。引退後、異例の復帰を目
指したが、調教中に心臓麻痺を起こした。
デュランダル
18戦8勝
 8-4-1-5
21世紀に甦る、斬れ味抜群の名刀。
欧州中世の叙事詩「ローランの歌」に登場するロー
ランが持つ剣の名前から。5戦4勝でマイルCSに
登場したが10着惨敗。翌年のセントウルSから池
添騎手が手綱を取ったが、続くスプリンターズSは
引退となるビリーヴを殿から只一頭襲い掛かりハ
ナ差で下した。マイルCSでも後方一気の末脚で
短距離界のトップに君臨した。翌年も同レースを制
しマイル王としてその名を刻んだ。
テンポイント
18戦11勝
 11-4-1-2
悲劇の貴公子。
桜花賞馬ワカクモから産まれる。阪神3歳S勝利
以来、関東の雄・トウショウボーイとの対決が運命
づけられる。春二冠で後塵を拝し、菊こそ先着した
が、もう一頭のライバル・グリーングラスに敗れる。
有馬でも敗北し、翌年宿敵不在の天皇賞を勝っ
て、宝塚で再びライバルに負ける。最後の対決有
馬を伝説のマッチレースの末遂に勝つが、次の日
経新春杯で故障。予後不良となるところを、多数の
ファンの悲痛な願いもあり闘病を試みたが、結局立
ち直ることはできなかった。
テンメイ
62戦13勝
 13-14-10-25
盾を制した名牝の孝行息子。
母は、天皇賞・有馬記念を制した年度代表馬トウメ
イ。条件戦で勝ち負けをしていたが、17戦目での
初重賞・菊花賞で2着入線。阪神大賞典・マイラー
ズCにも連対し、菊から一年ほど経った秋の天皇
賞で菊花賞馬プレストウコウなどを従え、親子で天
皇賞を制覇した。その後は岩手の水沢競馬場に移
籍して活躍を続けた。
(父) トウカイテイオー
12戦9勝
 9-0-0-3

復活の帝王。
父、シンボリルドルフと同じくダービーまで無敗で
制覇。故障で菊花賞を逃す。復活後、世紀の対決
と言われた春の天皇賞でメジロマックイーンと対決
し、敗北。また故障する。秋に復活し、JCを制する
も、有馬で不可解な惨敗。そして3度目の骨折に
見舞われる。まる一年休み、登場した有馬の舞台
で、絶好調のビワハヤヒデら、並み居るGT馬たち
を倒し、奇跡的な復活を遂げた。
(父)
 
(地)
トウカイポイント
 37戦7勝
 7-8-3-19
親子3代GT制覇の3代目。
盛岡所属だったが、4戦目の勝利以降、中央に移
籍。初の重賞制覇中山記念には実に、地方戦を含
め29戦を費やした。シンボリルドルフ−トウカイテイ
オーに続いてGT勝利達成。騙馬のため、残念な
がらこの馬による4代連続制覇はあり得ない。勝
利したマイルCSは主役不在の大混戦と言われ、
結果的に3連複37万9390円という当時のGT史上
最大の波乱を呼んだ。
[地] トウケイニセイ
 (盛岡)
 43戦39勝
 39-3-1-0
43戦39勝 2着3回 3着1回 着外無し。
3歳のデビュー戦の後に屈腱炎を発症。1年半の休養以降は重い脚部不安にもかかわらず、9歳まで43戦使われた。連対を外したのが引退直前の南部杯(ライブリマウントの3着)の1回のみ。盛岡競馬を震撼させたその戦績の中には南部杯2連覇もある。
トゥザヴィクトリー
21戦6勝
 6-4-4-7
世界の2着馬・逃げの名牝。
桜花賞3着・オークス2着とクラシックを逃す。府中
牝馬S優勝の模様は、ドラマ「やまとなでしこ」で使
われた。フェブラリーS3着でダート適正を見せ、果
敢に海外へ。そして世界最高賞金額レースのドバ
イWCで2着に粘り込む。長期休養明けで臨んだ
国内GTエリザベス杯では、なんと差す競馬を試
み、大混戦のゴール板を悲願の1着で通過した。
トウショウボーイ
15戦10勝
 10-3-1-2
空駆ける天馬。
良血馬として生を受け、その期待のままテンポイン
トを下し無敗で皐月賞制覇。ダービーでは、クライ
ムカイザーの出し抜けを喰らい、菊花賞は距離の
せいか沈んだが、有馬ではライバル・テンポイント
に完勝、年度代表馬を勝ち獲る。翌年の有馬記念
では永遠のライバルとのマッチレースを繰り広げ惜
しくも敗北。三冠馬ミスターシービーの父でもある。
トウメイ
 31戦16勝
 16-10-2-3
元祖女傑。
安直に東名高速から名付けられたほどの薄い期
待だったが、地方のはずが急遽中央からデビュー
し2着すると評価が一変。牝馬2冠を勝ち負けする
程に成長した。4歳は病気との闘いだったが確実
に勝ちを伸ばし、5歳秋で無謀な挑戦と思えた天
皇賞・有馬記念を勝利。初の牝馬による年度代表
馬となり、息子のテンメイもまた天皇賞を勝った。
[外] トーシンブリザード
 (船場)
 30戦9勝
 9-3-5-13
船橋が産んだ南関東三冠馬。
史上初、無敗で南関東三冠を達成。さらにジャパ
ンダートダービーも無傷の9連勝で制覇。翌年のフ
ェブラリーSでも、あわやのアグネスデジタルの2
着に入る。かしわ記念も勝ったが、その後左前脚ト
ウ骨を故障。そこからは、若い頃の快進撃は鳴りを
潜めてしまった。
トーホウシデン
 23戦4勝
 4-5-0-14
中山金杯 細身の頑張り屋ステイヤー。
プリンシパルSからダービーに出走し4着。秋はトラ
イアル2着から菊花賞2着に入賞。一年以上休養
し、5歳でも良い成績は挙げられなかったが、明け
6歳で金杯を含み2連勝。長距離適正を買われ、
長丁場のレースでは毎回人気をかけられた。
トキツカゼ
30戦11勝
11-4-4-11
ランナーとして、母として。
2戦目の勝利から順調に勝ち星を増やして、皐月
賞出走。牡馬に混ざりながらも後続に6馬身つける
快勝を見せた。続くダービーでは、かつて大久保
師が乗っていたカブトヤマの仔・マツミドリとの一騎
打ちとなり、わずか頭差で敗れた。秋に牝馬限定
のオークスを圧勝。繁殖では、ダービー馬オートキ
ツ・天皇賞馬オンワードゼアと2頭の年度代表馬を
輩出し、名品としての名を高めた。
トキノミノル
10戦10勝
 10-0-0-0
「幻」のダービー馬。
あまりの強さに、オーナーは名前を「パーフェクト」
から変更。皐月賞楽勝後、膝の疾患を抱えてダー
ビー出走。しかしなんの苦も無く完勝。だがこの時
点で、その怪我は破傷風に発展しており、わずか
半月後に死去。結局旧名どおり、10戦無敗で、伝
説の馬となった。
トサミドリ
31戦21勝
 21-4-0-6
最強の末弟。
三冠馬セントライトと同じ母フリッパンシーからの最
後の産駒となった彼は、見事皐月・菊花と二つの
クラシックを制した。ただ、ダービーは、7着と大敗
してしまい、おかげで単勝が55430円もついてしま
った。古馬になると75キロも背負わされるなど、重
い斤量に苦しめられた。しかし種馬となって多くの
GT級レースの勝馬を産みだし、戦後の代表的内
国産種牡馬としての地位を確立した。
(父)
 
(地)
トロットサンダー
22戦15勝
 15-2-2-3
1600mの専門家。
父は、皐月賞馬ダイナコスモス。浦和にて、9戦8
勝2着1回の実績を片手に中央入り。マイルでは
負け無しだったが、2000mではもろく、結果が出せ
なった。きっちりとゴール寸前で追い込む戦法が得
意。'95のマイルCSではメイショウテゾロを引き連
れ10万馬券を演出。安田記念では、翌年の覇者タ
イキブリザードをハナ差で敗った。
トロットスター
34戦8勝
 8-7-0-19
スプリントGT春秋制覇。
生産の際母馬が暴れてシンボリルドルフの種をも
らえず、代わって種付け上手のダミスターが選ば
れた。その産駒は始めはダートで稼いでいたが、
オープンに昇格してからは芝に転向。5歳の年末
にCBC賞を勝ち、中野栄治厩舎に初重賞をプレゼ
ント。その勢いのまま高松宮・SSを勝ち、フラワー
パーク以来のスプリント両GTを制覇した。特にス
プリンターズSでは驚異的なレコードを輩出した。
ナイスネイチャ
41戦7勝
 8-7-0-19
京都新聞杯・鳴尾記念・高松宮杯・小倉記念 3着と言えば……。
脚部不安で第一線に遅れたが、小倉記念・京都新
聞杯を連勝し王道の台風の目に。菊花賞は4着。
鳴尾記念を制し、有馬記念は3着に入賞した。ここ
から勝ちきれない時期が続き、有馬に限れば翌
年・翌々年と連続して3着に入り、3着キャラが定
着してしまった。後にワイドが発売された時、イメー
ジキャラクターに選出されたほど。高松宮杯優勝は
実に2年7ヶ月ぶりの勝利であった。
ナスノカオリ
27戦8勝
 8-3-5-11
ナスノ姉妹の姉。
デビューから勝ち星を三つ稼ぎ、トライアルは2着
で、桜花賞は一番人気に。馬場は不良だったが、
2馬身差の完勝。オークスTRを制し、本番はまた
一番人気、しかも不良馬場だったが、ここは10着
に敗れた。古馬になっては、OP特別を3勝するな
ど地道に走った。全妹のナスノチグサは、2年後の
オークスを優勝。姉妹で2冠を達成した。
ナリタタイシン
15戦4勝
 4-6-1-4
三強争いに名乗りを上げた豪脚。
皐月賞をシンガリ一気でさらい、文句無く三強の一
角に位置付けされる。それまでは、あくまでウイニ
ングチケット・ビワハヤヒデの二強に続く存在とされ
たが、その風潮を一蹴した。しかしダービーではそ
の二頭に先着を許し、それ以降もビッグタイトルを
得ることはできなかった。
(父) ナリタトップロード
30戦8勝
 8-6-8-8
自らの限界に挑み続けた、三強最後の一角。
きさらぎ・弥生賞と連勝しクラシック最有力候補と
言われたが、皐月賞でテイエムオペラオーの強襲
に屈し、ダービーではアドマイヤベガの強襲に敗
北。菊花賞で巻き返し、ようやくGT勝利。以降、
オペラオーに行く手を遮られたが、阪神3000のレコ
ードを出したり、3年連続春天3着、老いても、中山
の秋天で2着に食い込むなど、常に第一線で活躍
した。
ナリタブライアン
21戦12勝
 12-3-1-5

圧倒的な強さを見せたシャドーロールの三冠馬。
ビワハヤヒデの弟。勝ち負けを繰り返しながら朝日
杯を勝つ。3歳では三冠を、3・1/2、5、7馬身と着
差を広げながら達成。その勢いで、有馬記念も楽
勝。しかし故障に苦しみ、その後はGTに手が届
かず。5歳に、阪神大賞典でマヤノトップガンとの
死闘を演じるが、天皇賞は敗北。スピードを示すた
め新スプリントGT高松宮杯にも出走した。
ニシノフラワー
16戦7勝
 7-1-3-5
見事なる短距離転向。
ちょっと細めの持ち込み馬。3連勝で阪神3歳牝馬
Sを制し、トライアルで土がついたが、桜花賞で優
勝。オークスは、7着に敗北したが、エリザベス女
王杯を3着にまとめ、長距離でも引けを取らないこ
とを証明。しかし年末、半分の距離のスプリンター
ズSに直行し、なんと優勝。翌年も、同レース3着、
マイラーズC優勝と、短距離界を席巻した。
ニッポーテイオー
 21戦8勝
 8-8-2-3
守備範囲がワイドな短距離王。
皐月賞・NHK杯を惨敗し、陣営は短い距離での進
路を選択。その後3着を外すことは無かった。マイ
ルCS・安田記念・宝塚記念と3回連続GT2着が
続いたが、重馬場の秋天で、5馬身差圧勝。続く
マイルCSも同じく5馬身差勝利。翌年、安田記念
でもリベンジを果たしたが、最後の宝塚でタマモク
ロスに敗北した。妹のタレンティドガールはエリザ
ベス女王杯を制した。
ニホンピロウイナー
 26戦16勝
 16-3-1-6
日本マイル界の初代王者。
デビュー3連勝したが、これらは皆短い距離で、ク
ラシック戦線のプリングS・皐月賞は大敗した。3歳
秋以降の1600m以下のレースでは全て連対。そ
の中には、安田記念の他に、新設されたマイルC
Sの連覇も含まれている。また、秋の天皇賞には
シンボリルドルフの3着に迫ったこともある。産駒は
ヤマニンゼファー・フラワーパークなど、やはり2000
m以下に適正が集中している。
(父) ネーハイシーザー
 23戦8勝
 8-1-2-12
レコードを塗り替えること3回。
若い頃は、脚部不安や心房細動などの病気で苦
しんだが、未だ連を外したことのないビワハヤヒデ
が、現役最強を名乗る中行われた秋の天皇賞を制
し、GTのタイトルを奪取。しかし重賞戦線で3度も
レコードを更新した(内2回は日本レコード)ことは
それを超える勲章。旧コースの東京芝1800mのレ
コードは更新されるのに17年の年月を要した。
ネオユニヴァース
 13戦7勝
 7-0-3-3
デムーロを泣かせた二冠馬。
きさらぎ賞制覇後、鞍上が重なった福永騎手より、
M.デムーロ騎手に交代。スプリングSから皐月賞
を勝利。2着の田中騎手の頭を叩いたことでも有
名。重馬場のダービーも苦にすることなく二冠達
成。デムーロはウイニングランで感激のあまり涙を
流した。短期免許の規則を変えさせ、菊花賞もデ
ムーロが手綱をとったが、同馬主のザッツザプレン
ティを捉えることができず3着に負けた。
ノースフライト
 11戦8勝
 8-2-0-1
マイル路線を高速飛行。
3歳春にデビュー2連勝を飾ったが、エリザベス女
王杯の前哨戦は取消馬待ちから運良く出走し勝
利。本番では2着ながら大波乱を演出。翌年トップ
マイラーが揃ったマイラーズCを勝ち、外国馬が多
く出てきた安田記念を豪快に勝利。秋は、スワン
S・サクラバクシンオーの2着の借りを、マイルCS
できっちり返した。結局マイルでは、生涯5戦5勝。
ノーリーズン
 12戦3勝
 3-1-0-8
皐月賞レコードホルダー。
2002年の春クラシックはタニノギムレットが主役で
あったが、皐月賞で先行し15番人気をものともせ
ず優勝。皐月賞史上の最速時計だった。故障後、
神戸新聞杯2着で復帰。そのレース勝馬シンボリ
クリスエスの天皇賞参戦のため、菊花賞で1番人
気になるもスタート直後で落馬。その後は度重なる
故障に泣かされ遂に未勝利で引退した。
(外) ノボトゥルー
 79戦11勝
 11-14-13-51
鉄人GTホースかつ、競馬界の渡り鳥。
4歳まで、出走した重賞は24戦中ユニコーンS(10
着)のみだったが、5歳になると連勝の勢いのまま
フェブラリーSを制覇。その後も重賞戦線で勝ち負
けに加わり続け、若い馬達と遜色ない競馬をして
きた。さすがに10歳の秋から掲示板に載る事はな
くなったが、結局12歳のフェブラリーSまで現役を
続行し、通算88戦。足を踏み入れた競馬場は18場
に達した。
ハーツクライ
 19戦5勝
 5-4-2-8
脚質転向で無敗の三冠馬を撃破。
若葉Sから皐月賞に向かったが敢え無く惨敗。しかしダービーは2着に食い込んだ。一年GTに縁が無かったが、宝塚記念で2着に食い込み、JCではレコードハナ差の2着に惜敗。続く有馬では先行策に転換し、ディープインパクトに初めて土をつけた。ドバイではシーマクラシックに出走し楽逃げ。キングジョージでも3着と健闘したが、喉鳴りを発症し、ディープとの再戦を万全で迎えることができなかった。
[外] ハーフアイスト
 (アメリカ)
 31戦7勝
 7-4-5-15
'82年度JC優勝馬。
ジャパンCの他にセクレタリアトS(米GU)、ニッカ
ーボッカーH(米GV)に勝利。引退後はニュージー
ランドで種牡馬入り。産駒には'95・'97WRCウェリ
ントンカップ勝ち馬Ed、'94QTCブリスベーンカップ
勝ち馬Sky Flyerなどステイヤーが目立つ。2001年
に死亡。
(地) ハイセイコー
22戦13勝
 13-4-2-3
日本競馬界最大のアイドル。
大井を6戦全勝し弥生賞からNHK杯まで快勝。ダ
ービーでは圧倒的単勝支持率66.6%を集めるもタ
ケホープに敗れる。菊花賞で再度対決するもハナ
差に屈する。結局それ以降大レースは宝塚しか勝
てなかったが、競馬に無関心な人もハイセイコーの
名前を知っているほどで、以降彼の人気を上回る
馬は出てこないだろう。
ハギノトップレディ
11戦7勝
 7-0-1-3
華麗なる一族の代表。
その良血っぷりを買われ、桜花賞は1勝馬ながら2
番人気に推され、その期待に応えた。オークスは
道悪に泣いたが、秋は2連勝からエ女王杯を悠々
と逃切り。翌年は、母イットーも勝った高松宮杯を
優勝。2つ下の弟はグランプリホース・ハギノカムイ
オー(これも高松宮杯勝利)、代表産駒に安田記
念・スプリンターズS覇者のダイイチルビーがいる。
(父) ハクタイセイ
11戦6勝
 6-2-0-3
2代連続で皐月賞を制した「白いハイセイコー。」
始めは芝で苦労したが、ダートで開眼。2勝しオー
プン昇格。芝に戻っても勝ち続け、きさらぎ賞まで
勝利。トライアルを使わず直行した皐月賞で、メジ
ロライアン・アイネスフウジンとの3強対決を制し、
父ハイセイコーと同じく皐月賞馬に。ダービー5着
敗退の後、屈腱炎に冒され、ようやく翌年の安田
記念登録まで漕ぎ着けたが、レース直前で再発し
引退。
ハクチカラ
49戦21勝
 21-8-2-18
初の海外重賞勝馬。
朝日盃以降、キタノオーに続いて世代ナンバーツ
ーと言われ続けたが、唯一勝てた大レースがダー
ビーだった。ライバル引退後は、不動の現役最強
馬となり、天皇賞はGT級競争最高の単勝支持率
を獲得。その後海外に渡り、苦戦が続いたが、ワ
シントンバースデーHを勝ち、日本調教馬として初
の海外重賞制覇。引退後はインドに渡った。
(父) パッシングショット
27戦5勝
 5-10-3-9
26戦目でたどり着いたGT勝ちの名誉。
父はトウショウボーイ。デビュー後は、それなりに
安定した成績だったが、エリザベス女王杯で9着
し、GTの壁にぶつかる。その後、着順はあまり伸
びなかったが、5歳夏のCBC賞で13戦ぶりのレコ
ード勝ち。そしてマイルCSでは10番人気ながら、
悲願のGT初制覇。続いて最後となったスプリンタ
ーズSでは、大きく出遅れた8着だったが、直線の
挽回っぷりはもの凄かった。
ハットトリック
21戦8勝
 8-0-0-13
ナイスシュートか大外しかのストライカー。
デビュー2連勝、1戦挟んで今度はGVを2つ含む4連勝。4戦大敗したが、3回目のGTマイルCSで1番人気デュランダルよりも鋭い強襲を決め、続く香港マイルではレース直前、斤量を確かめるための鞍の脱着を免れる運の助けもあり、見事な追い込みで海外GT制覇を果たした。8勝もしているのに、それ以外は全部掲示板を外すという珍しい記録を作り、引退後は海外で種付けを行っている。
ハッピープログレス
27戦11勝
 11-3-4-9
短距離3冠馬。
まだ短距離路線未開発時期に、GT安田記念・重
賞京王杯SC・スプリンターズSの3レースを短距離
三冠と呼んでいたが、この3レースを全て制した。
しかし、その後はニホンピロウイナーに行く手を阻
まれ、種牡馬としても失敗し、不遇の晩年を過ごし
た。
バブルガムフェロー
13戦7勝
 7-2-3-1
戦後初の3歳による秋の天皇賞勝利。
サンデー産駒旋風が吹き荒れたこの世代で朝日
杯を華麗に制したが、皐月賞直前で骨折。ダンス
インザダークとの対決は幻に。復帰後は菊花賞を
避け、得意の中距離・天皇賞で古馬と対決。ロー
レル・トップガンなどを退け、初の3歳天皇賞馬とな
った。それ以降は大レースが勝てず、翌年の秋天
はエアグルーヴの引き立て役に回った。
バンブーメモリー
39戦8勝
 8-7-5-19
短距離界を代表する名ランナー。
シルクロードSから連闘で安田記念勝利。これが
重賞初勝利でもあった。その秋はスワンS勝利か
ら、マイルCSを使って、直線で抜け出し春秋マイ
ルGT制覇と思われたが、内からまさかのオグリ
キャップの強襲に遭い、ハナ差の2着。翌年もま
た、パッシングショットの2着に敗退。だがそのウ
サを晴らすかのように次のスプリンターズSでレコ
ード勝ち。
(地) ヒカリデュール
45戦10勝
 10-3-8-24
血統不明の年度代表馬。
母方の血統を辿ると不明な部分があるサラブレッ
ド。大井競馬出身で、地方時代の競争成績は38
戦7勝。東京王冠賞2着がある。5歳の秋から中央
に移籍し、いきなり重馬場の朝日CCを勝利。続く
天皇賞も2着に入り大健闘。JC敗北後、有馬記念
でアンバーシャダイ等を抑えて優勝。年度代表馬
に選出される。翌年産天皇賞で故障。種牡馬とし
てはあまり成功しなかった。
ヒカルイマイ
15戦7勝
 7-4-1-3
150万円の野武士はダービー馬。
血統は二流、価格は200万だったが、後で肋骨が
数本折れていたことがわかり50万円割引された。
そんな馬がデビュー3連勝。良血馬を負かし続け
て、菊花賞TRで故障し引退するまでの戦績は15
戦7勝11連対で、昭和40年代にして9000万を稼い
だ。中でも、ダービーでは3コーナーから20頭をゴ
ボウ抜きという離れ技を披露し、伝説となった。
(外) ヒシアマゾン
20戦10勝
 10-5-0-5
黒い女傑。
獲得GTは牝馬限定戦のみだが、3歳有馬記念で
ナリタブライアンの2着に入る。外国産馬のため3
歳春は裏街道を進んだが、クリスタルCでの怒涛
の追い込みで見られたように、牡馬クラシック路線
でも勝ち負けに加われそうな実力を見せる。古馬
になってもJC2着、オールカマー・京都大賞典勝ち
など、男馬に混ざって頂点を目指す競馬に参加。
(外) ヒシマサル
 13戦5勝
 5-3-1-4
きさらぎ賞・毎日杯・京都四歳特別 幻のクラシックホース、二代目ヒシマサル。
過去にJRA賞も獲った同名の名馬がいたが、輸入
前から決まっていた名のため、特例で2代目を襲
名。外国産馬のため当然クラシックに進めないが、
ウサを晴らすように前哨戦レースを勝ち続ける。そ
の後は自身の追い込み戦法に逆に苦しめられ、遂
にGTタイトルには手が届かなかった。
(父) ヒシミラクル
 28戦6勝
 6-3-4-15
3度も奇跡を起こしたミラクルの申し子。
抽選で出走できた菊花賞をハナ差で勝利。前哨戦
をことごとく惨敗し、すっかり人気を落とした天皇賞
で快勝。スタート後追い通しの宝塚では、シンボリ
クリスエスやタップダンスシチーなど、当時の一級
馬達をまとめて差し切る。彼の単勝馬券で約2億
円もの払戻しを受けた「ミラクルおじさん」なる人物
も話題になった。
ビッグゴールド
 59戦8勝
 8-8-3-40
中山金杯 悩む脚質に答えを出したタフガイ。
若葉ステークス2着でクラシック戦線への切符を獲
得。始めは先行脚質だったが、差しに転向しての
良績だった。その後金杯を勝ったが、次第に着順
が上がらなくなり、重賞勝ちからは遠い存在になっ
てしまった。いつしか脚質を先行に戻し、その結果
出た答えが、オープン特別2連勝に続く、春の天皇
賞2着という快挙であった。現在は金沢競馬に転
厩し、好成績を挙げている。
ビリーヴ
 28戦10勝
 10-3-5-10
スプリントGT秋春制覇。
10勝全てが1200という生粋のスプリンターで、新
潟開催のスプリンターズSを勝っているため、唯一
の新潟GT勝馬ということになる。サンデー産駒初
のスプリントGT馬で、翌春の高松宮記念でも、シ
ョウナンカンプ・サニングデールら牡馬一級のスピ
ード自慢達を蹴散らした。引退レースのスプリンタ
ーズSで同じサンデー産駒のデュランダルに差し切
られ、惜しくも連覇を逃す。
[外] ピルサドスキー
 (アイルランド)
 22戦10勝
 10-6-2-4

  BCターフ・バーデン大賞
  ・英チャンピオンS
'97年度JC優勝馬。
アイルランド生まれ。凱旋門賞は、二回2着。JCで
はエアグルーヴなどを一蹴。日本で種牡馬生活に
入ったが、特に目立つ産駒が出ず、故郷アイルラ
ンドへ売却された。妹に、無敗のエリザベス女王
杯勝馬のファインモーションがいる。
ビワハヤヒデ
16戦10勝
 10-5-0-1
決して連を外さない、元祖3強のアンカー。
ウイニングチケット・ナリタタイシンとともに3強時代
を築き、ダービーではあまりにウイニングに運が向
きすぎて、栄光を逃したが、結局クラシックタイトル
を分け合った。しかし、古馬となってからは全くライ
バルを寄せ付けず、春天・宝塚記念を楽勝。弟の
三冠馬・ナリタブライアンとの対決が期待された
が、唯一連を外した秋の天皇賞で故障し、引退し
た。
(父) ファイトガリバー
12戦3勝
 3-2-1-6
社台グループの懐刀。
ダービー馬ダイナガリバーの仔として生まれる。新
馬戦勝ちから順調に賞金を積み重ね、桜花賞に登
場。10番人気の低評価を覆して優勝し、万馬券決
着を演出。オークスでは距離不安が心配された
が、エアグルーヴの2着と健闘した。ローズS惨敗
後脚部不安を起こし休養。復帰後も思うような戦績
を挙げられず、繁殖入りした。
(外) ファインモーション
15戦8勝
 8-3-0-4
日本競馬唯一の古馬GT無敗制覇。
JC勝馬ピルサドスキーの妹。長期休養を挟み、ロ
ーズSまでのデビュー4勝は、全て圧勝。当時のG
T最高単勝支持率72.0%を集め秋華賞も圧勝。続
くエリザベス女王杯をも苦も無く制し、無敗の古馬
混合GT優勝をJRA史上初めて実現させた。有馬
も3歳牝馬ながら一番人気に推されたが初黒星。
以降折り合いに苦しみ、GU2勝が精一杯だった。
(外) ファビラスラフイン
7戦4勝
 4-1-0-2
古馬・牡馬を沈黙させた、秋最強の3歳牝馬。
新馬から無敗でニュージーランドTを勝ちその後
NHKマイルCでは圧倒的な1番人気で推された
が、あえなく惨敗。夏をはさみ、ブッつけで臨んだ
第一回秋華賞で見事逃げ切って優勝。その次の
JCでは、外国馬が上位を独占する中、シングスピ
ールのハナ差2着と大健闘。古馬になってからの
活躍も期待されたが脚部不安で引退した。
ファレノプシス
16戦7勝
 7-1-1-7
ナリタブライアンの従兄妹、その名は胡蝶蘭。
デビュー戦でレコード勝ち、続く2戦を快勝したが、
チューリップ賞で脚を余し桜花賞では武騎手に乗
り替わった。桜花賞は快勝したがオークスでは3着
に敗退。しかし秋になりローズSを快勝すると秋華
賞も快勝して、最優秀3歳牝馬となった。古馬にな
ってからは迷走を続けたが、エ女王杯では若い有
力サンデー産駒を相手に、有終の美を飾った。
[地] フェートノーザン
 (笠松)
29戦19勝
 19-3-1-6
笠松所属の悲劇の雄。
中央ではそこそこの成績だったが、引退決定直
前、公営に移籍。途端に馬が変わったかのように
勝ちまくった。帝王賞・ブリダーズゴールドC(イナ
リワンも出走)・東海菊花賞・東海大賞典・名古屋
大賞典などを圧勝したが、全日本サラブレッドCで
故障が発生した。
フサイチコンコルド
5戦3勝
 3-1-1-0
最短キャリアでのダービー馬。
わずか2勝でダービーに出走、人気を集めたダン
スインザダークのダービー制覇目前で外から「音速
の末脚」を以って強襲し、3戦目でのダービー勝
利。「和製ラムタラ」と呼ばれた。種牡馬となって
は、ダンスインザダークには及ばないものの、GT
戦線などに多く産駒を輩出している。
フジキセキ
4戦4勝
 4-0-0-0
サンデーサイレンス産駒の魁。
サンデーの初年度産駒。新馬戦を8馬身差圧勝。
もみじSは後のダービー馬を相手にレコード勝ち。
朝日杯は競争中ラチに顔をぶつけ出血しながらも
勝利し、これ以降無限に続くサンデー産駒GTタイ
トルの一勝目を挙げた。しかしクラシック直前で、
屈腱炎により無敗のまま引退。だがサンデー後継
種牡馬としても魁となり、カネヒキリ以下数多くの
重賞ウイナーを出した。
(父) フジヤマケンザン
38戦12勝
 12-6-1-19
中日新聞杯・中山記念・七夕賞・
 香港国際カップ・金鯱賞
ハクチカラ以来、久々の海外重賞勝馬。
菊花賞3着以来、各重賞・GTの常連となる。GT
のタイトルは得られなかったが、国内の重賞は4
勝。そして'95年の香港国際Cでレコード勝ちし、日
本の馬で2頭目の海外重賞勝利を達成した。引退
後種牡馬になったが、産駒の成績が思わしくなく、
今は静かに余生を過ごしている。
ブゼンキャンドル
27戦4勝
 4-3-6-14
「荒れる秋華賞」を印象付けた馬。
'99の秋華賞に12番人気で登場。外から10番人気
のクロックワークを引き連れて優勝し大波乱を巻き
起こした。その後勝ち星どころか、二桁着順が続
き、障害に転向、4戦目で勝利した。また平地に戻
ったが、結局10番手以内に入ることができずに終
わった。
(外) ブラックホーク
28戦9勝
 9-8-6-5
帰ってきた名短距離馬。
マイル前後を中心に使われてきたが、初めての
1200となったスプリンターズSを制し、幅の広い短
距離適正を見せる。それからは常に人気の中心に
なったが勝ちきれず、2年後の安田記念で10連敗
から脱出。そのころには人気もすっかり離れ、馬連
で10万馬券をつけた。
(父) フラワーパーク
18戦7勝
 7-2-1-8
初のスプリントGT春秋制覇。
父内国産馬でありながら、高松宮・SSを勝ち、高
松宮杯GT昇格初年度にして、初めてスプリントの
両GTを制覇した。父ニホンピロウイナーは、安田・
マイルCS勝ちがあり、2代連続、1年で同距離GT
を2つ制したことになる。
プリティキャスト
41戦8勝
史上最大の大逃げを起こした名牝。
3200m時代の'80秋の天皇賞、柴田政人を背に、
5歳牝馬プリティキャストは、2周目に入ったあたり
から後続を大きく引き離していく。最大約100m・約
4秒の大逃げは無謀に見えたが、有力2頭の牽制
もあり後続の遅れた仕掛けを味方に結局7馬身差
を残して優勝した。
プリモディーネ
10戦3勝
 3-0-1-6
ユーイチを男にした馬。
2歳でファンタジーS優勝。桜花賞ではフサイチエ
アデール・トゥザヴィクトリーなどを敗って優勝。鞍
上福永祐一騎手に初のGTタイトルをプレゼントし
た。オークスは差の無い3着だったが、蹄の不調に
悩まされ1年半休養した。その後は骨折にも見舞
われ功績が挙げられず、結局最後まで爪が全快
することなく引退した。
ブリリアントロード
73戦7勝
 7-8-6-52
新潟大賞典・新潟記念 地下馬道が苦手なブリリアン。
ブライアンになりきれてないという意味で命名。乗
りなれない騎手が乗ると難しいクセ馬で、そのため
山田騎手はわざわざ有力馬を蹴ってまでこの馬に
乗ったこともあるという。新潟の重賞を同一年で二
回勝ったが、その理由は新潟競馬場に地下馬道
が無かったからとも言われている。後、岩手競馬に
転厩した。
プレクラスニー
15戦7勝
 7-3-1-4
最強馬の降着で得た天皇賞馬の称号。
メジロマックイーンの6馬身差レコード勝ちのはず
が、武豊の斜行最下位降着で、2位にいたプレクラ
スニーがタナボタと言われながら優勝。しかし、ここ
までエプソムC・毎日王冠と重賞を連勝しており、
決して非力だったわけではない。史上最も祝福さ
れない、心残りなGT馬の誕生だった。
フレッシュボイス
26戦7勝
 7-2-2-15
吹雪の中の末脚。
4戦3勝で臨んだ毎日杯では、雪の中、馬群の後
ろから追い込んできたのがこの馬。杉本アナの「雪
は止んだ!フレッシュボイスだ!」の実況と共に東
上切符を獲得。皐月賞は2着したが、故障を発生
しダービー不出走。その後は、安田記念など重賞
5勝・GT2着2回と活躍した。
ブロケード
24戦6勝
 6-9-1-8
適性は短距離に。
泥んこの桜花賞を圧勝し重馬場では無類の強さを
誇ったが、オークス・エ女王杯共に13着と、距離に
は明らかな壁があった。安田記念を連続2着、スプ
リンターズS優勝など、牡馬を含めた中での一流
短距離馬として活躍した。馬名の意味は「金襴緞
子(どんす)」。
[外] ペイザバトラー
 (アメリカ)
40戦5勝
 5-5-5-25

  レッドスミスH・ストラスブール大賞
  ・マンノウォーS・オークツリー招待H
  ・ボウリンググリーンH
'88年度JC優勝馬。
ジャパンCには2年連続で来日、1度目はタマモク
ロス・オグリキャップらを破り、2度目はホーリックス
の3着と健闘した。種牡馬として日本で供用された
が、わずか1世代の産駒を残したのみで急逝し
た。代表産駒は、函館記念などを勝ったパルブライ
ト。
ヘヴンリーロマンス
33戦8勝
 8-8-3-14
天覧競馬の覇者。
三冠牝馬スティルインラブの勝った新馬戦がデビュ
ー。長期間掛けて実力を身につけ、GホイップTか
ら阪神牝馬Sと一気に連勝し、古馬牝馬界の上位
に立った。5歳夏は、クイーンC2着から札幌記念を
勝利したため、急遽天皇両陛下御来臨が叶った秋
の天皇賞へ出走を決意。超スローペースの中、前
年の年度代表馬を抑えて優勝。松永幹夫騎手と
共に陛下へ勝利の挨拶を果たした。
ベガ
9戦4勝
 4-1-1-3
クラシックを邁進した、若き日のおっかさん。
トニービン×ノーザンダンサーの良血馬で、2回目
の新馬戦から連勝し、そのまま桜花賞・オークスを
連勝した。秋は、エリザベス女王杯に直行したが、
この当時はまだ人気薄だったホクトベガ・ノースフラ
イトに敗れ、三冠を逃した。牡馬一流馬と対戦し、
良績は得られなかったが、母としては、ダービー馬
アドマイヤベガ・ダート王アドマイヤドンを出した。
[外] ベタールースンアップ
(オーストラリア)
45戦17勝
 17-8-3-17

  Honda Stakes・Railway Stakes
  ・Winfield Stakes・MVRC W.S. Cox Plate
  ・Segenhoe Stakes・L.K.S Mackinnon
 Stakes
  ・Australian Cup
'90年度JC優勝馬。
オーストラリアの殿堂馬。前年度のJC覇者・ホー
リックスに、GTで二回先着。オーストラリア10ハロ
ンのレコードホルダーでもあった。90年のJCでは、
カコイーシーズ・オードの間を割って抜け出し勝利
した。
ホウヨウボーイ
19戦11勝
 11-5-0-3
遅咲きの代名詞。
新馬戦を圧勝するも、連発する故障に泣かされ、4
歳夏に復帰。5歳で重賞初勝利し、秋の天皇賞は
クモズレで惨敗。しかし、有馬でカツラノハイセイコ
を下し、年度代表馬に選出される。その後また故
障し休養した後、秋の天皇賞を長い写真判定の末
モンテプリンスに勝利。種牡馬になってすぐ、胃破
裂で帰らぬ馬となった。
[外] ホーリックス
(ニュージーランド)
40戦17勝
 17-10-2-11

  ARC Television NZ Stakes(2回)
  ・ARC DB Draught Classic(2回)
  ・VRC Mackinnon Stakes
'89年度JC優勝馬。
息の長かったニュージーランドの女傑。JCでの、
オグリキャップとの壮絶な叩きあいの産物として、
2.22.2の世界レコードを輩出。'05の同レース・アル
カセットに更新されるまで16年間破られることが無
かった。オセアニア最大のレース・コックスプレート
に3回挑戦したが、JC馬ベタールースンアップに
敗れるなどし、遂にものにできず。
ホクトベガ
 42戦16勝
 16-5-4-17

史上最強のダートクイーン。
3歳秋に、ベガの3冠達成の夢を破り大波乱のG
T勝利。それから好成績が出せず、一時は本気で
障害入りが考えられたが、エンプレス杯18馬身差
勝ちでダート適性の高さが露出。交流重賞10連勝
を切符にドバイWCに挑戦するも悲劇の事故に遭
い、予後不良となった。
マーベラスクラウン
 22戦7勝
 7-5-2-8
男を捨てて得た国際タイトル。
騎手を振り落とすほどの気性難解消のために、ク
ラシックをあきらめ、去勢を決断。ターフに戻ると、
あっさり3連勝しオープン入り。しばらく重賞2着止
まりが続いたが、金鯱賞・京都大賞典(阪神代替)
勝利からJCに進出。史上最弱の日本陣営と揶揄
されたものの、ハナ差で勝利。後、屈腱炎に苦し
み地方にも転厩したが実らず、レース中の故障で
引退。B'zのアルバムジャケットのモデルにもなっ
た。
マーベラスサンデー
15戦10勝
10-2-1-2
豊と共に得た悲願の宝塚。
サンデーの初年度産駒。気性の難しさからデビュ
ーが遅れたが2連勝。しかし二度の骨折で、クラシ
ックどころか、復帰に一年以上要した。復帰二戦目
からたちまち6連勝し、サクラローレル・マヤノトップ
ガンと合いまみれ、3強時代を築くも、先頭に立つ
ことは難く、苦杯を舐め続ける。そして4度目のG
T、宝塚記念でついに初制覇を果たした。
マイネルマックス
40戦6勝
6-2-3-29
年老いても頑張った2歳王者。
2歳に2歳重賞を連勝し、その勢いを得て朝日杯3
歳S(当時)に出走。見事に鞍上佐藤哲三騎手に
初のGTタイトルをプレゼントした。明け3歳、熱発
を起こし、トライアル・皐月賞共に回避。止む無く出
走したNHKマイル・そして本番のダービーでも大
惨敗を喫した。長く低迷を続けたが、6歳のマイラ
ーズCで強豪を抑えて、久々の重賞勝ちを収め
た。
(外) マイネルラヴ
23戦5勝
5-4-1-13
タイキシャトルを連から外させた馬。
当時最強短距離馬だったタイキシャトルの引退レ
ースで競り勝ち、日本国内を唖然とさせる。その
後、シルクロードS以外は全く駄目だったが、種牡
馬となると成功。父と同じく若い年代で結果を出す
馬達が多い。
マサラッキ
30戦9勝
9-3-3-15
苦労の末に掴んだ夢のGTの称号。
主要スプリント重賞を幾つか勝ちながらも、ムラの
ある成績から人気はつきづらかったが、ペースが
速くなった高松宮記念で見事GT制覇。引退後は
乗馬になる予定だったが、種付料無料で種牡馬に
なったとか。
マックスビューティ
19戦10勝
 10-2-1-6
怒涛の二冠牝馬。
2歳時に重賞をとり逃したが、明け3歳はオープン
特別三連勝から一気に桜花賞を8馬身差圧勝。オ
ークストライアルからオークス本番も危なげなく完
勝。秋初戦は神戸新聞杯を使い、後に菊花賞2着
となったゴールドシチーなどを退け、8連勝。二年
連続の三冠牝馬誕生確実と思われたが、エリザベ
ス女王杯でタレンティドガールに惜しくも差された。
マヤノトップガン
21戦8勝
 8-4-5-4

天皇賞・春のレコードホルダー。
菊花賞で頭角を表し、一気に有馬記念を制圧。ナ
リタブライアンとの阪神大賞典の決闘も有名だが、
2年越しのサクラローレルとの対決もまた名高い。
ライバルに後ろから差された1年目の翌年は、持ち
前の自在性を武器に、今度は逆に差し切って見せ
た。
マルゼンスキー
8戦8勝
 8-0-0-0
61馬身差の無敗持ち込み馬。
常に大差で勝ち続け、全ての着差を足すと61馬身
に。朝日杯では、前走ハナ差に迫られたライバル
に一転大差勝ちした。持ち込み馬のため、当時の
規定でクラシックには出走不可。中野渡騎手の、
「大外で、賞金もいらないから、ダービー出走を。」
の声も空しく。さらに有馬記念出走直前に脚部不
安が悪化して引退。
マンハッタンカフェ
12戦6勝
 6-0-1-5
日本に期待をもたらした黒い馬体の勇者。
ジャングルポケットやエアエミネムなどが出走して
いた菊花賞を、ほとんど人気を背負わずに快勝。さ
らに年末、テイエムオペラオーのラストランとなった
有馬記念を勝利する。翌天皇賞でも同世代・他世
代の名馬を相手に完勝し、現役最強に君臨。その
勢いのまま、凱旋門賞に挑戦するも、レース中に
屈腱炎を患い引退。
(父) ミスターシービー
15戦8勝
8-3-1-3

型破りの、追い込み三冠馬。
不良馬場の皐月賞を勝利。ダービーでは先行有利
の定説を裏切り、シンガリ一気で勝利。菊花賞も、
2コーナー最後方・3コーナー先頭という、京都でや
ってはいけない3コーナー坂でのスパートから、19
年ぶりに三冠を達成。古馬になって、初の2000で
行われた秋天を勝利。ルドルフには勝てなかった
が、追い込み一手の戦法と、常識を覆し続けす姿
は、多くのファンを掴んだ。
(外) ミッドナイトベット
36戦9勝
9-2-2-23
金杯(西)・京都記念・香港国際カップ・
 金鯱賞
フジヤマに続く香港重賞のレコード勝馬。
条件戦でのレースが続いたが、突如京都記念まで
一気に5連勝。その年末では香港に発ち、以前フ
ジヤマケンザンがやったように、香港国際Cをレコ
ード勝ち。翌年、前年2着した金鯱賞を勝利した
が、それをピークにその後は負け続け、のち調教
時の骨折が原因で登録を抹消した。
(父) ミホシンザン
16戦9勝
9-1-4-2
三冠馬シンザンの代表産駒。
堤オーナーのシンザン産駒最後の馬だったが、ス
プリングSまで順調に勝ち進んだ。皐月賞は5馬身
も突き放す快勝劇で、親子2代の3冠達成が期待
されたが、骨折により戦線離脱。秋に復帰し、菊花
賞を勝利して2冠を確保。一期前の三冠馬ルドル
フ敗北後、不調が続くが、最後に天皇賞を勝利し
た。
ミホノブルボン
8戦7勝
7-1-0-0
栗東の「山」が産んだ2冠馬。
戸山調教師は、スプリンターと思われた彼を、新設
の坂路コースを使って徹底的に調教。逃げから、
バテない豊かなスピードで、皐月賞・ダービーを快
勝し、ファンや評論家達を驚かせた。しかし、3冠
目の菊花賞は、筋金入りのステイヤー血統をもっ
た、ダービー2着のライスシャワーに惜しくも敗れ
る。
[外] メアジードーツ
(アメリカ)
33戦12勝
12-5-4-12
初代JC優勝馬。
アメリカ産馬。海外での重賞は全てハンデ戦。日
本初めての海外馬招待レースで、レコードを叩き出
し、日本のホースマン達に世界の実力を見せつ
け、その力の差を痛感させた。
メイショウカイドウ
43戦11勝
11-6-6-20
小倉記念(2回)・小倉大賞典・
 北九州記念・七夕賞
生粋の小倉巧者。
小倉・笠松で勝ち星を挙げ、条件戦は小倉で3連勝。オープンに昇格してからは北九州記念2着、小倉記念勝利と相変わらずの小倉適正を見せる。圧巻は翌5歳、小倉大賞典・北九州記念・小倉記念(レコード)と小倉三冠を初めて同一年で達成。以降は斤量に苦しめられたが、福島の七夕賞で重賞5勝目。引退後は小倉競馬場の誘導馬になった。
メイショウサムソン
27戦10勝
10-8-2-7

スピード競馬に一石を投じた雑草魂。
小牧場生産の地味な血統のため、買値700万という安値で取引。鞍上も石橋守という目立たない存在だったが、徐々に勝ち鞍を重ねスプリングSで重賞初制覇。その勢いのまま皐月賞・ダービーを制し二冠馬の称号を得た。秋は菊花賞以下苦しい競馬が続いたが、明け4歳で転厩すると産経大阪杯・春の天皇賞を勝利。秋は凱旋門賞を目標としたが、インフルエンザに感染し止む無く回避。だが秋の天皇賞を優勝し盾連覇、特別賞を受賞した。
(外) メイショウドトウ
27戦10勝
10-8-2-7
JRAGT最多2着馬。
生涯のライバル、テイエムオペラオーの2着に甘ん
じること連続5回。6度目の対決で遂に最強馬を撃
破。一方で4歳夏からGUを取りこぼさない安定感
を見せ、最後までライバルをオペラオーのみとする
競馬を続けた。ちなみにオペラオーと一緒に引退
式をし、種牡馬としての馬房も隣同士だった。
メイショウボーラー
29戦7勝
7-5-3-14
父のスピードは芝でもダートでも。
タイキシャトルのスピードを受け継ぎ、デビュー4連勝で圧倒的な強さを見せたが、朝日杯で土。皐月賞・NHKマイルともに3着に終わった。4歳はダートに転向し、たちまち連勝。フェブラリーSでは不良馬場も味方に付け、レコードで逃げ切った。その後は着順が安定せず、5歳のスプリンターズSで2着と健闘もしたが、ついに勝ち鞍が上げられず、6歳は秋一戦のみを使って引退、種牡馬入りした。
メイズイ
22戦15勝
 15-3-1-3
史上最も高い三冠の期待を掛けられた2冠馬。
グレートヨルカをライバルに春の2戦を快勝。特にダ
ービーでは、当時のレコード2.30.2を上回る2.28.
7。これは、古馬が作ったコースRも上回るものだっ
た。よって、無敗で臨んだ菊花賞は、ディープイン
パクトも真っ青の単勝支持率83.2%を集めたが、
他馬の競り掛けに乗ってしまい三冠を逃した。
[地] メイセイオペラ
(水沢)
35戦23勝
 23-2-2-8
岩手が産んだ、初の公営所属馬JRAGT勝馬。
若い時に頭を馬某にぶつけ骨折する悲劇に見舞
われたが、回復後は中央馬に混じりながらもアブ
クマポーロと壮絶なライバル対決を繰り広げる。'99
フェブラリーSで初の中央GT勝ち。未だに他の地
方馬によるJRAGT勝ちはない。
(父) メイヂヒカリ
21戦16勝
 16-2-1-2

初代グランプリホース。
初の顕彰馬、クモハタの仔。皐月・ダービーは故障
で回避。菊花賞はダービー馬オートキツを10馬身
引き離し、ダービーに出走できていたなら、と関係
者を思わせた。古馬になっては天皇賞・春をタイレ
コードで勝利。新しく始まった中山グランプリ(現有
馬記念)をまたもレコードで勝って引退した。蝦名
騎手曰く、「シンザンがナタなら、メイヂヒカリは日
本刀。」
メイワキミコ
 19戦7勝
 7-4-4-4
スプリンターズS2回 レコードを3回出した、古豪の名スプリンター。
時代背景から、始めはクラッシク路線を進んだが、
いずれも惨敗。オークスの次に1200ダートを使った
ところ、自分のレコードを2秒以上縮めた。これを破
ったのは、21年後のスーパーナカヤマ。古馬では
スプリントOPを中心に使われ、GT昇格前のSSを
連覇している。皐月賞馬ハワイアンイメージは全
弟。
メジロアサマ
 48戦17勝
 17-14-6-11
芦毛馬初の天皇賞馬。
名騎手保田隆芳氏の調教師転進で、尾形師から
寄贈されたのがこの馬。安田記念・秋の天皇賞勝
ちに宝塚・有馬2着の好成績で種牡馬入りした
が、初年度は全頭不受胎。生涯受胎率は15%。
「種無しスイカ」と揶揄されたが、それでも北野オー
ナーは種付けをあきらめず、その結果生まれたの
が二代目天皇賞馬メジロティターンである。
メジロダーリング
 34戦8勝
 8-5-4-17
函館スプリントS・アイビスサマーダッシュ 初代アイビスサマーダッシュ優勝馬。
1200mで度々勝利していたが、5歳の夏にピーク
を迎え、函館の重賞勝ちに続き、日本初の直線
1000mの重賞に挑戦し、53.9という当時のスーパ
ーレコードで勝利。続くスプリンターズSでも2着に
食い込んだ。
(父) メジロティターン
 27戦7勝
 7-3-2-15
芦毛メジロ3代天皇賞制覇の2代目。
恐ろしく受胎率の低かった天皇賞馬メジロアサマを
父に持つ。その父ゆかりの尾形藤吉師が亡くなっ
たその日、セントライト記念で初の重賞勝ち。翌年
日経賞を勝利し、そして秋の天皇賞をレコード勝
ち。オーナーの北野豊吉氏は、何とか長距離での
スピードが豊かなティターンの子で天皇賞馬輩出
を願っていたが、マックイーンの姿を見る事なく死
去した。
(父) メジロドーベル
 21戦10勝
 7-3-2-15

4年連続の女王君臨。
5戦4勝で2歳牝馬の頂点に立つ。桜花賞こそキョ
ウエイマーチのスピードに屈したが、オークス・秋
華賞でライバル達を蹴散らし3歳時でも頂点を極め
た。翌年の秋も、エリザベス女王杯に急遽参戦を
決めたエアグルーヴに対して逆転を決め、6歳とな
っても同レースを連覇し、4年連続で各年代のJR
A賞・最優秀牝馬部門を受賞した。GT5勝も牝馬
としては最多である。
(父) メジロパーマー
 38戦9勝
 9-5-2-22
数少ないグランプリ連覇の達成馬。
一時期障害レースに参加したこともあった。常にハ
イペースでレースを引っぱり、展開のみで勝ちを拾
いに来る馬達を封じて、メジロマックイーンの良い
露払い役を演じてきた。だが、マークが薄くなった
レースで鮮やかな逃亡劇を披露し、自らもグランプ
リ2勝。ダークホースの代名詞となったが、ただの
逃げ馬でないことを証明した。
(父) メジロブライト
25戦8勝
8-8-3-6
道悪巧者の追い込みステイヤー。
父・メジロライアンと同様にクラシックは人気先行で
無冠に終わる。重上手も父似で、ステイヤーズSで
は1.8秒差の大差勝ち。そして4歳、シルクジャス
ティスとの阪神大賞典ハナ差決戦を制した直後、
春天で悲願のGT制覇。3代連続GT勝利を実現
させる。その後もGT惜敗を続け、最後までライア
ンの足跡をたどった競争馬生活だった。
(父) メジロマックイーン
21戦12勝
12-6-1-2

日本が誇る代表的な内国産ステイヤー。
菊花賞で同門のメジロライアンを従え、兄メジロデ
ュレンに続き優勝。翌年親子3代天皇賞制覇の偉
業を達成。6馬身ぶっちぎりの秋天は斜行で最下
位に降着したり、有馬記念でダイユウサクの大駆
けに屈したりもしたが、中距離戦でも有り余るスピ
ードを活かし、長期間に亘り現役トップを守り続け
た。初の10億円ホースであり、レコードは実に3回
も記録している。
(父) メジロライアン
19戦7勝
 7-4-3-5
メジロ軍団の全盛期を担った良血馬。
メジロマックイーン・メジロパーマーと並んで、その
競馬センスの良さからGT制覇を期待されたが、
大レースをことごとく惜敗。ダービーでは中野コー
ルを、有馬ではオグリコールを2着枠で聞かされ
た。しかし翌年、遂に宝塚記念で同門メジロ二頭を
従え優勝。「宝塚で悲願達成」という図式の先駆け
である。父としては、メジロブライト・メジロドーベル
2頭のGT馬を出した。
メジロラモーヌ
12戦9勝
 9-0-0-3
初代三冠牝馬。
東京の重賞を取りこぼしたが、4歳牝馬特別・桜花
賞を勝った後、敢えてオークスTRを使い、オークス
と併せ連勝して、東京左回りコース苦手のイメージ
を払拭した。秋には、何とかローズSを勝ち、調子
を落としてはいたものの、鞍上河内の早仕掛け作
戦に応え、エ女王杯を優勝。史上初の三冠牝馬と
なった。重賞最多連勝のタイ記録も付随した。
モンテプリンス
24戦7勝
 7-7-2-8
古馬で一気に能力開花。
早くからその強さは噂されていたが、皐月は不良
馬場に泣かされ、ダービーではオペックホースとの
叩きあいの末惜敗。菊花も2着で、翌年も惜敗病
が続いたが、5歳で能力は一気に解き放たれ、春
の天皇賞・宝塚記念を圧勝。最近の馬で言うと、ビ
ワハヤヒデと経過がそっくりである。有馬直前で故
障が判明。それでも出走したがやはり11着と敗れ
た。春の天皇賞を勝ったモンテファストは一つ下の
全弟。兄弟制覇を果たした。
(父) ヤエノムテキ
23戦8勝
 8-4-3-8
東京二千に咲いたムテキの舞い。
デビュー2連勝し、皐月賞出走の望みをかけた毎
日杯にはオグリキャップの4着と敗れ、抽選に回っ
たが、運良く何とか滑り込み、枠も東京2000開催
の最内を引き当てた。西浦騎手は枠を活かしきり、
先頭でゴールした。しかし、ダービー・菊花賞は敗
退した。その後は、重賞戦線を勝ち負けしながら、
再び東京2000の天皇賞を優勝。オグリキャップ相
手にかつての屈辱を晴らした。
(父) ヤマニンゼファー
20戦8勝
 8-5-2-5
関東の名手の出発点はこの馬から。
条件戦を確実に勝ち上がり、2回目の重賞京王杯
SCで3着に入り、次の安田記念は田中勝春騎手
を背に、11番人気の低評価を覆して優勝。マイル
CSは5着だったが、スプリンターズSでも連対を果
たし、短距離馬としての確立した。翌年も京王杯・
安田記念を連勝し、今度は柴田善臣騎手に初のG
Tタイトルを与えた。秋には天皇賞も制し、中距離
への融通性をも証明した。
ライスシャワー
25戦6勝
 6-5-2-12
京都で咲き、京都で散った名ヒール。
ダービーはミホノブルボンに大きく離された2着。菊
花賞は、三冠が期待されたブルボンを長距離適正
に物を言わせて下した。翌春は、3連覇を目指した
メジロマックイーンを交わして天皇賞勝利。またも
大記録を阻んだ。不遇の時が続いたが、2年後の
天皇賞を早仕掛けから優勝して復活。ファン投票1
位に推された、京都開催のGP・宝塚記念の3角か
ら、天に向かって跳び立って行った。
[地] ライデンリーダー
(笠松)
24戦13勝
 13-1-2-8
4歳牝馬特別 '94クラシック戦線をにぎわせた笠松の地方馬。
笠松デビュー10連勝を手土産にアンカツを乗せ中
央クラシックに参戦。4歳牝馬特別では、杉本アナ
を絶句させる強烈な追い込みを披露。結局中央G
Tでは勝てなかったが、笠松競馬では初戦以外
全て1番人気を得る。安藤勝己騎手中央移籍の起
点となった馬でもある。
ラインクラフト
13戦6勝
 6-3-2-2
マイルの新たなる女傑。
デビュー2連勝で阪神JFに進んだが3着敗退。し
かし翌春はスピードに磨きがかかり、フィリーズR
勝利をステップに桜花賞をシーザリオなどを封じて
完勝。距離不安からNHKマイルCに挑戦したが、
牡馬達を一蹴し、変則で二冠を達成した。秋はエ
アメサイアに相次いで敗れたが、マイルCSで3着
に食い込み女傑振りを発揮。翌年は1400の阪神
牝馬Sでライバル・エアメサイアを下したが、ヴィク
トリアマイルで大敗。秋は短距離路線に専念する
予定だったが、放牧中、心臓麻痺で倒れた。
[外] ランド
 (ドイツ)
23戦10勝
 10-2-1-10

  独ダービー・バーデン大賞(2回)
  ・伊ジョッキークラブ大賞・ミラノ大賞
  ・メルクフィンク銀行賞
'95年度JC優勝馬。
4歳・5歳でドイツ年度代表馬に選出された。ヨーロ
ッパの賞金王に輝き、ドイツ12ハロンのレコードも
持っていたが、ムラッケの多いのが難点。しかし、
ラムタラの凱旋門賞では健闘した。
[外] ルグロリュー
 (フランス)
19戦6勝
 6-6-1-6

  ワシントンDC国際・Grosser Preis von
 Berlin
'87年度JC優勝馬。
イギリス産で、フランスの調教馬。日本馬の谷間と
言われた87年のジャパンCでは、3番人気で登場
し、トリプティクや、ムーンマッドネスなどの人気上
位外国馬を抑えて、レコードで快勝した。
レガシーワールド
32戦7勝
 7-5-2-18
戸山調教師の忘れ形見。
あのミホノブルボンの戸山厩舎所属。騙馬のた
め、クラシックには無縁だったものの、セントライト
記念を勝利。同年メジロパーマーの有馬記念で
は、あわやの2着に入線。翌年故障し半年休む
が、京都大賞典でマックイーンの2着に入ると、
蒼々たるメンバーが揃ったJCに直行し勝利を収
め、戸山氏の死去により替わった森師に初の重
賞・GT勝ちをプレゼントした。
レッツゴーターキン
33戦7勝
 7-5-2-19
トウカイテイオーを負かした天皇賞馬。
'92の秋の天皇賞、人気の中心はトウカイテイオー
だったが、メジロパーマー・ダイタクヘリオスの逃げ
が作るハイペースに巻き込まれて失速。次々に差
し馬が台頭していく中、最後に外からムービースタ
ーを連れて追い込み、大波乱を巻き起こす。
ローエングリン
48戦10勝
 10-5-6-27
中山記念2回・マイラーズC2回 可能性を求めて逃げ続けるパイオニア。
オペラの題名から命名。7戦4勝重賞未勝利なが
ら、3歳にして果敢にも宝塚記念に挑戦し、見せ場
たっぷりの3着。翌年は立て続けに重賞連勝し、マ
イラーズCではレコードも出した。海外にも飛び出
し、ムーランドロンシャン賞2着。ダートなども試した
が、マイルから中距離路線で、果敢な逃げをうち、
数々の名勝負を演出してきた。
[地] ロジータ
(川崎)
15戦10勝
 10-2-1-2
南関東の名女傑。
牝馬ながら三冠(京浜杯・羽田杯・東京ダービー)
に加え浦和の桜花賞を制し、南関東4冠馬に。中
央の芝では結果は出せなかったが、地元では圧
倒的な支持を集め、引いた手綱を緩めることなく東
京大賞典を大楽勝。川崎記念では単勝オッズ1.0
倍、彼女以外の馬は全て100倍以上という驚愕的
な単勝支持率で優勝した。息子のカネツフルーヴ
も川崎記念を制し、母子2代での快挙を達成。
[地] ロッキータイガー
(船橋)
25戦10勝
 10-6-5-4
ジャパンカップ2着の船橋競馬所属馬。
'85、テツノカチドキと共に黄金時代を築く。帝王賞・
東京記念などを制し、地方馬代表としてJCに登
場。結果はシンボリルドルフの2着に入る大快挙。
史上初日本馬によるJCワンツーフィニッシュを決め
る。東京芝2400mとの相性は抜群で、3歳時に力
を是非試してみてほしかった。
ワカクモ
53戦11勝
 11-9-9-24
名血を受け継いだ桜花賞馬。
法定伝染病・伝貧を疑われ、薬殺処分寸前から関
係者の必死の努力で無実から救われたクモワカ。
その娘がワカクモである。桜花賞を制し、一族の悲
願を達成した彼女は、母として中山大障害連覇の
キングスポイント、貴公子テンポイントを産む。しか
し、その二頭ともレース中の故障から命を落とし、
その優秀な血脈を伝えることは叶わなかった。


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