第3位
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2002年 ビリーヴ(武豊) |
東京競馬場改修工事のため、史上初、新潟でのGT開催が実現した。
この年は、春の高松宮記念を完勝したショウナンカンプ、
その時二着で、安田記念では復活優勝を果たしたアドマイヤコジーン、
前哨戦のセントウルSをレコード勝ちした牝馬のビリーヴと
典型的な三強対決になった。
平坦な直線を向くと、絵に描いたようにその3頭が揃って抜け出し。
その中でも後方にいたビリーヴと武豊は
一瞬前が詰まったが、すぐに進路を内にとることを選択。
そこからしばらく熾烈なデットヒートが繰り広げられたが、
絶叫で知られる青嶋アナの叫びをもかき消す、新潟の大歓声の中
その争いを振り切ったのが彼女だった。
後に高松宮を勝って全場GT勝ち達成を果たした武豊は
この新潟の勲章を含め、6場でのGT制覇となる。 |
第2位
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1996年 フラワーパーク(田原) |
大外枠から好スタートで一歩前に出たのはフラワーパーク。
それを制して、替わって先頭にたったのがエイシンワシントン。
フラワーパークは、まずここでは無理をせず、二番手の位置を守る。
さほど速い流れでもなく、そのままの情勢で最後の直線を向いたが、
エンジンがかかった状態での競り合いは凄まじかった。
スタンド正面では、終始この先行した2頭が競り合う状態に。
完全に併せ馬となり、後続との差を広げながら
ゴールに飛び込んだ時、誰もどちらが先着したのかわからなかった。
それもそのはず、公式発表では着差がたったの1cm。
この後同着のケースが出ることにはなるが、
一・二着、勝負がついたGT競争では、最小単位での結末となった。 |
第1位
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1994年 サクラバクシンオー(小島太) |
前年の覇者が一番人気で登場。
これが引退レースであった。
先行の位置から無理なくレースを進め、
直線を向くと持ったままで先頭に立ち、
小島騎手からムチを入れられると、そこからさらに後続を引き離す。
二着に4馬身差をつけてゴールインしたその勝ちタイムは1.07.1のレコード。
それから16年経過しても、このタイムを破ったのは
わずか0.1秒だけ上回ったトロットスターの一回だけ。
そしてこれ以前これ以降も、GTになってからこのレースを連覇、あるいは
複数回制した馬は出現していない。
その後数々の産駆が大活躍していることにも
この馬が強い、ということがはっきりと現れている。 |
番外
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2007年 アストンマーチャン(中舘) |
2歳時にこの馬を見た時、とにかく脚の回転の速さにびっくりしたことがある。
そして、この馬はいつかGTであっと言わせることがあるだろう、
と想像したものだったが、この世代は他にもっと凄いのがいた。
桜花賞は、ウオッカとダイワスカーレットの一騎撃ち。
アストンマーチャンは完敗してしまった。
その年の秋、初戦に使ったのは3歳限定戦ではなく、
古馬スプリント戦の最高峰に位置するこのレース。
秋競馬冒頭の時期に移行してから3歳馬の活躍は無く、
勝負になるのはもっと後からだと踏んでいたのだが、
スタートをきると、彼女は積極的に先頭に立った。
驚いていたところに、「鞍上 中舘」の実況。
これを聴いた瞬間、「あ〜、やられた。」と思わず声が出た。
スピードが出ない不良馬場ではあったが、
逃げ走法を操るスペシャリストに手綱を預け
小気味良い、あの速すぎるピッチ走法は、6ハロンで最大の効果を発揮した。
あの若さ、それも牝馬で古馬混合GTを制し、この馬の強さと同時に
世代全体の強さをも、初めてはっきりとした形で証明することになった。
この脚の回転力が、もうどこにも遺伝されることはないのが残念極まりない。 |