名コピー・4(ダービー編)

「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらない。この馬の能力を確かめるだけでいい。」
(中野渡清一騎手)
 2001年規定が変更され、2頭の馬が長いダービーの歴史において外国産馬として始めて
ダービーに出走した。そのうちの一頭クロフネは、まさにこの状況を名で表したが、それまで
外国産馬にダービーの出走権は一切なかった。

 ところで1977年当時、外国で種付けされ日本で生まれた持込馬も、外国産馬と同じ扱
い、つまりダービーに出られなかった。この時、朝日杯で大差勝ちしこれまで6戦6勝のマ
ルゼンスキーは、同期の中では明らかに飛びぬけた存在であった。しかし、持込馬。無念
の中野渡騎手が訴えたのがこの名言で、マルゼンスキーを語る上で欠かせない名文句と
なった。

「自分がもし馬券を買えるのなら、借金をしてでも単勝馬券を買って、一番人気になりたい。」(中野栄治騎手)
 皐月賞惜しくも2着に敗れたアイネスフウジン。それは他馬に接触を受けての、苦い負け
方であった。鞍上の中野騎手は馬の力を信じており、自分の競馬をすれば必ず勝てる、と
いう自身の現れであった。

 果たして1990年のダービーに3番人気で出走したアイネスフウジンは、最後まで他の馬を
寄せ付けず、ダービーレコードで快勝した。日本競馬史上最多の19万人を越える観客が巻
き起こした東京競馬場の「ナカノ」コールは、馬と騎手とファンの心を一つにし、競馬界に新
たな時代が来たことを示していたのだった。

「世界のホースマンに、60回のダービーを獲った柴田ですと報告したい。」
(柴田政人騎手)
 勝利ジョッキーインタビューで、アナウンサーに「この喜びをまず誰に伝えたいですか?」と
聞かれた際の返答。

 ジャパンカップが世界的に認知されるようになって、国内にも有名な海外ジョッキーが度々
来日するようになって来た。そこで柴田騎手を困らせた彼らの質問が、「君は何回目のダー
ビーを勝ったんだい?」 各国各々のダービーを勝つことは、世界基準で言えばいわば名刺
代わりのようなもの。ダービーというキーワードは世界共通の合言葉だ。

 1988年ダービーフェスティバルで、「ダービーを勝てたら騎手をやめてもいい、というぐらい
の気持ちで乗らないとダメですね」と発していた柴田騎手。さらに5年後1993年のダービ
ー、彼はより円熟味を増しすっかりベテランの域に入っていた。跨ったのは一番人気に支持
されたウイニングチケット。直線入り口では前がぽっかり開いたところを果敢に突っ込み、ビ
ワハヤヒデらの猛追を必死に粘りきった挙句手にした悲願のタイトル。競馬ファンも皆、ベテ
ランジョッキーの晴れ姿を心から祝福した。彼自身も、この勝利でやっと一人前のジョッキー
になれたと心から思ったのかもしれない。

「一番人気はいらない。一着が欲しい。」
(大西直宏騎手)
 1997年の皐月賞はメジロブライトが人気の中心だったが、11番人気のサニーブライアンが
逃げ切り。その勢いのままのダービー出走だったが、ファンはその逃げ切り劇をフロックと見
る体制が主だった。そこで主戦騎手が発したのがこの言葉。そして実際に本番では、皐月
賞馬にもかかわらず、シルクジャスティスやサイレンススズカよりも下の6番人気。しかし大
方の予想を見事に裏切り、言葉どおりに逃げ切って見せたのだ。

マル外ダービー
 70年以上もの長い歴史を誇る日本ダービーだが、日本産馬での繁殖能力馬選定という名
目の元、2000年まで外国で生まれた馬の出走は一切できなかった。従って、3歳外国産馬
はその頂点決戦を他のレースに求めた。それがNHKマイルカップだった。混合レースに指
定されたこのGT競争は、1600mの3歳マイル決定戦という位置づけだったが、初年度開
催以降、外国産馬が競って登録し、「マル外ダービー」の異名をとった。その結果、6年連続
して外国産馬が連対するという、他のGTとは一線を画すレースとなってしまった。

 しかし、日本馬の自力が向上し、内国産を守る意味が薄くなってきたのと、本当のナンバ
ーワンをダービーで決めるべきだという風潮が強くなってきたのを受け、2001年、21世紀の
幕開けと時を同じくして、ダービーは外国産馬に開放された。そして翌年からNHKマイルカ
ップは内国産馬が中心のレースに変わった。またクラシック優勝馬や一流内国産馬が、ダ
ービーの叩き台や、新たな能力を試す舞台として使われるようにもなってきた。

「5回イタリアダービーを勝つより、1回日本ダービーを勝つほうがうれしい!」
(M.デムーロ騎手)
 2003年の日本ダービーを勝ったのは、この年の皐月賞馬ネオユニヴァース。晴れて二冠
馬となった。この時騎乗していたのが、イタリアのトップジョッキー・ミルコ=デムーロ。先頭で
ゴールインし、ウイニングランでホームストレッチに戻ってきたときに、彼は東京競馬場の大
歓声を肌で感じ、涙を流しながら何度もスタンドに向かってお辞儀をした。

 世界各国の競馬場を回り、世界各国それぞれの競馬スタイルを知っている彼にとって、日
本のような盛り上がり方ができるダービー優勝はとても嬉しかったのだろう。この言葉は、
≪日本の競馬は多くのファンによって支えられ、そして多くのファンが一緒に感情移入し、勝
ったときは素直にその気持ちをファンと共に表現できる。そこに騎手としての生きがいを見出
せる。こんな喜びを感じられるのは日本だけだ≫ということだったのだろう。スタンドの大歓
声は、レース前・レース中の人馬にとって最大の敵となるが、勝ってしまえばこれ以上のご
褒美はないのだ。

 一度に10万以上もの人が押し寄せ、大歓声を発し、一斉に勝者を褒め称えるような競馬
場は、世界のどこにもないだろう。

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