第3位
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1989年 ホーリックス(オサリバン) |
このレースは二着のオグリキャップが主人公である。
先週、もの凄いレースでGTマイルCSを勝ったばかり。
中一週さえも開けずに連闘で国内最高峰のレースに出てきた。
序盤は逃げ馬がハイペースで引っ張る流れだが、
それはただのハイペースではなく、超ハイペースだった。
このレースに乗っていたあるジョッキーは、
「前半は短距離戦の流れで、
後半も短距離戦だった。」と言うぐらい。
南井騎手の鬼気迫るムチの入れ具合に、
オグリはしっかりと反応した。
先に抜け出したニュージーランドのホーリックスを
じわじわと追い詰めたが、
わずかにクビ差届かなかった。
だが、勝ち馬と同タイム2:22.2のスーパーレコードを叩き出した彼を
叱責できる者は誰も居なかった。 |
第2位
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1984年 カツラギエース(西浦) |
第1回ジャパンCにて、海外と日本の差を
眼前に突きつけられた、日本のホースマンとファン達。
その二年後、キョウエイプロミスが二着に入ったものの
それは彼のレース人生と引き換えにされたものだった。
翌年の第4回は、ミスターシービーとシンボリルドルフ
2頭の三冠馬の参戦。日本競馬の正念場だった。
そしてその年は確かに、記念すべき初の日本馬優勝の年だったのだが、
勝ったのは10番人気の逃げ馬、カツラギエースだった。
伏兵馬の逃げ残りと思われがちだが、
この馬は3歳時にクラシック上位人気を務め
当年の宝塚記念を制した、れっきとしたGT馬である。 |
第1位
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1992年 トウカイテイオー(岡部) |
日本競馬史上に残るシンボリルドルフが
二回目の出走で勝ち取った1985年以来、
また世界の壁に阻まれる時期が続いた。
正式に国際GTに認定されたこの年の
日本の大将格はトウカイテイオー。
ただ、天皇賞で足元を掬われるようなレースっぷりから
関係者・ファンは一抹の不安をぬぐいきれないでいた。
人気は5番目。それより上4頭は皆外国馬だった。
前走ハイペースに付き合って、やや自滅に近かった先行策を
テイオーはもう一回やってみせた。
そして結末は違ったものになった。
ナチュラリズムの執拗な末脚を振り切って優勝。
滅多に馬場上で感情を表さない岡部騎手が
ゴールの瞬間、珍しく腕を天に掲げた。
テイオーコールが起こったこの時が、日本馬が優位になるJCの
分岐点(ターニングポイント)になった。 |
番外
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2009年 ウオッカ(ルメール) |
ウオッカはこのレースを含め7つのGTを制したが、
そのどれもが特徴的で記憶に残るものであった。
だが、ここまでの6つは最終的に「強い」という言葉しか残らなかったが
このレースだけは、一見すると「なんとか勝てた」というイメージだった。
先に抜け出したものの、決定的な差を着けられず
後続に追い込みを許すという初めての展開。
それでもウオッカがウオッカたる所以というのは
二回目の2cm差決着を制する運の良さ。
気がついて見れば2:22.4という
もの凄く速い展開を押し切っていた内容で、
ちゃんと強さも示していた。
4着→3着と惜敗ながらも年々着順を上げて
三度目の正直を成し、通算GT最多勝に並んで
名馬伝説をつなげるこのスター性が
特別な馬である証なのだろう。 |