第3位
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2000年 アグネスデジタル(的場均) |
1番人気のダイタクリーヴァの高橋亮騎手は
この日のレースで落馬負傷し騎乗不可に。
白羽の矢が立ったのは、まだ笠松所属であった安藤勝己であった。
ヤマカツスズランが快調に飛ばしてハイペースになり、
先のスプリンターズSで最下位人気にて優勝した
ダイタクヤマトがまず先に出て、
外からダイタクリーヴァが、満を持して
同じ勝負服(厳密には袖輪の数が違う)に並びかけた。
アンカツが遂に初めての中央GTを獲るかと思ったその瞬間、
大外から栗毛の馬体が全く違う勢いでフレームインしてきた。
これを操っていたのは、京都であまたの名レースを演出してきた的場均。
その馬が先頭でゴールインすると、
掲示板には、レコードの赤い文字が点った。
実はこの馬、芝では未勝利で、完全にダート馬だと思われていた。
残り300m付近では、前の馬に一旦進路を塞がれていたほどであったのに
究極のスピード決戦で、とんでもない豪脚を見せた。
結局、この年全ての短距離GTは全て馬連万馬券。
日本一堅いGTといわれたこのレースが荒れるようになってきたのは
この年が境ではないかと思う。
しかしこの万能馬の勝利はフロックでなく、
今後あらゆるカテゴリーのGT鞍をあと5つも獲ることになる。
もっと言えば、GTレースレコードもあと2回出した。 |
第2位
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1989年 オグリキャップ(南井克) |
経験を重ねた競馬ファンの皆様になら、
わざわざこのレース回顧を詳しく語るまでもないだろう。
既に毎日王冠・天皇賞(秋)を使い秋3戦目。
次の週には、あと4ハロンも距離が長い国際GTを控えていた。
完全に抜け出したバンブーメモリーを
常識では考えられない末脚で内をすくって差し切った結果、
豪腕南井騎手を、京都の観衆の目の前で泣かせることになってしまった。
「負けられない戦い」ということを、オグリは果たして知っていたのだろうか。
それとも、前走で不覚を取ったことへの侘びのつもりだったのか。
語ることは無くとも、
走ることでメッセージを発するオグリキャップの姿勢に
競馬ファンはどんどん引き込まれるしかなかった。 |
第1位
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1998年 タイキシャトル(岡部) |
フランスの伝統GT、ジャック・ル・マロワ賞を制し
“世界”の肩書きを持って凱旋したタイキシャトル。
だが、この時代はまだ海外帰りは割引すべしという、
予想の鉄則があった。
ところが11戦10勝二着1回という実績を作った彼に、
そのジンクスは全く通用しなかった。
予定通りにゴーサインが出され、
尾花栗毛の馬体が前に抜きん出ると、
その瞬間にレースは決した。
短距離の部類に入る、マイル戦であるのにも関わらず
王者が意気揚々と5馬身も突き放してしまったために
かわいそうかな大混戦の二着争いが
どんぐりの背比べのように、何だか滑稽に見えてしまった。 |
番外
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2009年 カンパニー(横山典) |
結局この馬の特徴は掴めずじまいだった。
4歳までは、それなりのレースをそれなりに走っていた。
5歳で産経大阪杯を勝ち、いよいよ一流馬の仲間入りかと思えば
GTになると大きく着順を落とす。
そこまでの馬かと思えば、
年を重ねるごとに大一番での着順が安定してくる。
でもさすがに8歳では無理でしょ、とタカをくくっていたら
現役最強馬のウオッカを、毎日王冠・天皇賞(秋)と完封。
引退の当レースでは、最初で最後のGT1番人気に支持され
正攻法の横綱相撲で見事に花道を飾った。
このタイプは、今でもいったいどういう風に解釈していいのかわからない。
だが最高齢GT馬と言う快挙は、讃えずにはいられない。 |