トウショウボーイの代表産駒。昭和最強の父内国産馬といっても過言ではないだろう。なん
と、母のシービークインはそのトウショウボーイが勝った新馬戦に出走しており、オーナーが種
付けを熱望して生まれたのが、この馬である。
CBは生産の千明牧場のことで、同名の馬が第1回の東京優駿(日本ダービー)に出走し
た、という由緒ある名前を引き継いだ。
名前負けするどころか、初代よりも豪快な走りで三冠を達成。その内訳は、泥んこの皐月賞
を力強く抜け出し、ダービーでは絶望的な後方スタートから一気に捲くって「ダービーポジショ
ン」と言われた勝ち方のセオリーを一蹴、菊花賞では京都の坂で一気にスパートし、これまた
やってはいけない掟破りの作戦で快挙を成した。
翌年の昭和59年は、JRAがグレード制を導入し日本競馬の国際化を図った改革元年。出走
予定レースの馬場変更による回避や故障もあって、復帰がだいぶ遅れたが、この年から
2000mに生まれ変わった秋の天皇賞を勝利し4冠馬に。その後は、一つ後輩の三冠馬シン
ボリルドルフとの対決が注目されたが、遂に一回も先着することなく引退した。だが、競馬の
常識を覆し続けてきたその姿は、記録に残るルドルフとは対照的に「記憶に残る」名馬として
ファンの心に深く刻まれた。中堅ファンの中にも、ミスターシービーから競馬を始めた、という人
たちも多い。
父としてGT馬を出すことはできなかったが、母父としてはダート王者ウイングアローが出て
いる。 |