ビワハヤヒデの弟。その時、すでに兄の強さは騒がれていたが、デビューではそれほど
期待されず、2番人気で2着というそこそこの滑り出し。しかし2戦目に9馬身差の圧勝を見
せ、その後の活躍の一端を見せた。だが、初重賞で6着に終わり、その強さはまた封印さ
れた。続く福島のレースを勝ったものの、またしても重賞の壁に跳ね返されデイリー杯3
着。
安定しない成績から、陣営はシャドーロールを採用することを決意した。装着後初のレー
スは、オープン特別とはいえ功を奏してレコード勝ち。初のGT出走となった朝日杯では、
3馬身半差の快勝で初のタイトルを獲得。いつしか、偉大な兄を超える力を期待される存在
となっていた。
3歳になると、兄貴の勝てなかった大レースを次々と勝利。共同通信杯で弾みをつけ、ス
プリングSを経て、クラシック第一弾の皐月賞。4コーナーから力強く抜け出し、直線半ばで
早くもレースを決めた。二着争いの後続馬が差を詰めた形になったが、それでも3馬身半
の余裕があった。ダービーでは1.2倍の圧倒的一番人気に指示されたが、それも見事に応
えた。直線で大外に持ち出し、後は突き放す一方。5馬身差をつけた。
三冠達成を前にして、秋初戦をスターマンに差されるという失態を演じ、本番前週に行わ
れた天皇賞で、兄ビワハヤヒデが故障し引退するという、不吉な風が吹いていた。菊花賞
は、かつて盾の舞台で超大逃げで圧勝したプリティキャストの子、スティールキャストが大
逃げをうつすごい展開になったが、ブライアンは自分のレースに徹し、ファンの期待通り稍
重の馬場を残り200mから豪快に抜け出した。大歓声に沸く京都競馬場のビクトリーストレ
ッチをレコードで走りきった結果、後続とは前二冠よりもさらに差が開き7馬身もの着差がつ
いていた。続いて、古馬相手の有馬記念に登場。完全に兄貴の足跡を超え、圧倒的な三
冠達成にファンは疑うことなく単勝1.2倍の評価を与え、また彼もそれに応えて、再び3馬身
以上突き放す圧勝劇で1年を終えた。
翌年難なく阪神大賞典を勝ったが、股関節炎を発症。ここからブライアンの人生が一気に
暗転してしまう。秋に復帰したが、まるで馬が変わってしまったかのような成績。着順は挙
がるものの、GT戦線の上位に絡むことができなくなってしまった。
しかし明け5歳、再び彼に力が甦った。阪神大賞典で前年の年度代表馬マヤノトップガン
との顔合わせ。3コーナーあたりから、トップガンと併走しながら後続から抜け出し、そして
4コーナーからゴール板まで、伝説的なマッチレースを演じた。全くの併走状態でゴールに
雪崩れ込み、その結果アタマ差で久々の勝利を挙げた。その勢いのまま天皇賞制覇を狙
い、一旦は勝ったと思われたが、新勢力サクラローレルに屈した。続いて、後々種牡馬に
なるためにと、スピードを示すため新スプリントGT高松宮杯に出走。さすがに3200mから
1200mの対応に苦慮し4着。ところがこの後屈腱炎を発し、引退が決まった。
文句無く種牡馬入りしたブライアンであったが、その生活は幸福ではなかった。種馬生活
二年目の秋、胃破裂を起こし早世。自分の仔の活躍を見る事はできなかった。しかも未だ
に、重賞ウイナーが出ていない。あの強すぎるほどの力を再び見る事は、もう二度と叶わな
いのであろうか。 |