第3位
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1991年 イソノルーブル(松永幹) |
一番人気で迎えた桜花賞では発走直前に落鉄。
関係者が慌てて装蹄しようとするも、彼女は暴れまくって断固拒否。
やむなくそのままの状態で出走し、案の定敗北を喫した。
仕切り直しのオークスは4番人気の評価に落ちていた。
20頭立ての大外から果敢にハナを叩き、ハイペースで馬群を引っ張る。
直線に入るとツインヴォイスと
今ではすっかり有名になったスカーレットブーケが激しく攻め立てる。
さらに大外からは1番人気の桜花賞馬シスタートウショウが
満を持して襲ってくる。
府中の最後の直線は、逃げ切るにはとてつもなく長く、
ついにはシスターに並ばれたが、
そこはもうゴール板を過ぎたところだった。
京都で靴を失くしたシンデレラは
2400mをきっちり先頭で走りきり
樫のヒロインになることができた。
余談だが、このレース5着に入ったスカーレットブーケのクビ差後ろには
タニノギムレットの母タニノクリスタルが入線している。 |
第2位
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1983年 ダイナカール(岡部) |
外ラチいっぱいまで広がったスタートゲート内におさまった馬の数、28頭。
現在では考えられない超多頭立てで始まったレースは
1コーナーでは、まさに寿司詰め状態の軍団を形成して向正面に入っていく。
そんな中、先団で順調にレースを進めていたのはダイナカール。
内を掬うメジロハイネを追い詰め、
直線半ばで先頭に立ったかと思うと
外からタイアオバが鬼気迫る勢いで並びかける。
メジロも一旦は交わされたものの、しつこく食い下がる。
しばらくはこの3頭のつば競り合いだったが、
更に間を割ってレインボーピット、大外から凄い切れ味でジョーキジルクム。
最後は5頭が横一線並んでのゴールイン。
ハナ・アタマ・ハナ・アタマの大接戦だったが、
最後に先頭に残ったのは2番人気のダイナカールだった。
その13年後、彼女の娘エアグルーヴが
同じくオークスを制することになる。 |
第1位
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1975年 テスコガビー(菅原泰) |
先の桜花賞はスピードに物を言わせての「大差」勝ちだったが、
その凄さは、800m距離が伸びるこの過酷な舞台でも全く変わらなかった。
スタートし激しく追われながら、約束どおり先頭に。
4馬身ほど後続を引き離し、ペースを抑える素振りなど、まるで無し。
向正面でキクノヤマトが内から並びかけ、
テスコガビーを突っつきながら4コーナーを迎えるという、
並の逃げ馬には苦しい展開だったが、
彼女にしては、蚊が止まっている程度にしか思えなかったのだろうか…
残り300m程で菅原騎手のゴーサインが出ると
そこから先は、桜花賞のリプレイを左右反転させて見ているかのようだった。
いとも簡単に後続を引き離し、今度は8馬身差をつけて完勝。
スピードだけでなく、スタミナも豊富に持ち合わせている事を証明し、
もはや他陣営は、なぜこの世代に
こんな化け物が存在したのかということを、疑うことしかできなかった。
桜花賞と同じくで、つまらないランキングになってしまったが、
改めてビデオを見ても、これは1位にしないとしょうがないな、という内容だった。 |
番外
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2010年 アパパネ(蛯名正)・サンテミリオン(横山典) |
天皇賞の前身・帝室御賞典が始まったのが1905年春、
現存する最古のGT日本ダービーの第一回が1932年。
100年以上を誇る長い長い日本の競馬史をさかのぼってみても、
GT級競争で、勝ち馬の欄に名前が2頭入っている箇所は見つからなかった。
雨が降る2010年のオークスは、その史上初の事態が起こった。
桜花賞馬アパパネと、5番人気のサンテミリオンが
長い直線をビッチリと追い比べ。
最後は首の上げ下げをしながら、ゴールに併入した。
あまりに長い写真判定に、
‘何か’を察知した私は、急遽カメラを構えた。
覗き込んでいたファインダーに映し出されたのが、「同着」の文字。
その瞬間、不覚にも思わず手が震えてしまった。
時々出走馬の質に関わらず、「このレースの時は、是非現場に居たかった」
or「今日は来て良かった」というケースがあるが、
これはまさしく後者の良い例だ。 |