第3位
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1992年 ミホノブルボン(小島貞) |
2011年JRA皐月賞のCMにも採用されたミホノブルボン。
血統背景からスプリンター体質と言われていたが、
1800mのトライアル・スプリングSを7馬身差圧勝し、距離を克服。
その背景には、新設されて間もない坂路調教コースで
徹底的にブルボンを鍛え上げた戸山調教師の信念があった。
本番では直線を向くと、あっさりと後続を引き離し、
そのスピード能力を遺憾なく発揮。
「皐月賞は最も速い馬が勝つ」という格言が
ピッタリとはまっているレースがこれだ。 |
第2位
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2005年 ディープインパクト(武豊) |
単勝オッズ1.3倍と言う圧倒的人気で迎えられたスタート直後、
あわや落馬寸前かという大きなつまずきをして、
始めから大きなロスを背負ってしまった。
しかし結果的に考えてみると、このハプニングは
他の出走馬へ「君達にはこれくらいのハンデをつけてあげようか?」
と言っているような、彼の余裕たっぷりなメッセージだったのかもしれない。
向正面で大外から豪快にポジションを上げ、
4コーナーでは何事も無かったかのように先頭争いに加わり、
直線を向くと、いとも簡単に突き抜けてしまった。
言わずもがな、これがディープ伝説の第一章である。 |
第1位
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1994年 ナリタブライアン(南井克) |
デビュー当初は成績が安定しなかったが、
シャドーロールを装着して以降、その強さが絶対的なものになる。
そしてこの白い矯正具は、彼のトレードマークとなった。
最内枠を利して終始内でジッとしていたが、
直線で南井騎手のゴーサインが出ると、
後肢から火が出ているのが見えるかのごとく
凄まじい加速力を以って後続をあっという間に置き去りに。
早々と二着争いの競馬に持ち込み、
彼はその遥か先で、悠然と風との一体感を楽しんでいた。
ディープインパクトとどちらが上かで迷ったが、
レースの迫力と、3歳のこの時期で
中山レコードを叩き出した完成度を認め、こちらを一位とした。 |
番外
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1973年 ハイセイコー(増沢) |
大井のスターが鳴り物入りで中央に移籍。
弥生賞・スプリングSと、芝の一級戦のレースでも
その戦績に傷が付くことは無かった。
地方出身という個性は競馬ファンはおろか、
日本国民全体に訴えかけるものがあった。
皐月賞は雨により道悪競馬に。
ダートで慣らした彼にはもってこいの状況だったが、
4コーナーで逸走に近いふくれ方をし、一時中山は騒然となる。
しかし、直線を向いてしっかりと体勢を立て直すと、
こうもり傘で一面に覆われた観客の目の前を大外から豪快に差し切り、
無敗のまま念願のクラシック制覇を成し遂げる。
これを機に、彼は国民的スターになり、
日本全国にハイセイコーブームが巻き起こった。 |