第3位
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2004年 タップダンスシチー(佐藤哲) |
遅咲きながら、その実力を徐々に発揮してきたタップダンスシチー。
JCでは9馬身差圧勝も、馬場と展開に助けられたという見方もあった。
しかし前走金鯱賞はレコードで連覇。
中距離戦線の王者の地位がいよいよ見えてきた。
大きな気がかりは年齢。もう彼は既に7歳になっていた。
さらに大外枠を引き、先行馬にとってはあまりありがたくない枠順だった。
スタート直後積極的に内に切り込んでいくが、
内のローエングリンにハナを譲り、一旦控える。
向正面で一気に先頭を奪い、果敢にレースを引っ張りにかかる。
ゼンノロブロイ・リンカーンらの追い込みを完全に退け
直線ではさらにもうひと伸び。
今度こそは、彼の強さを疑うものはいなかった。 |
第2位
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2005年 スイープトウショウ(池添謙) |
前走安田記念二着の好成績を上げながらも
スイープトウショウは11番人気という低評価。
昨年の覇者タップダンスシチーと
前年の秋古馬三冠を決めたゼンノロブロイとの一騎打ちムードで、
曲者リンカーンや人気が高いコスモバルクなどもいる中では
仕方が無いことだったかもしれない。
昨年と同様に大外に入ったタップダンスシチーは
展開も同じく逃げない格好に。
1コーナーでコスモバルクがシルクフェイマスからハナを奪い
3コーナー手前でタップが速めに仕掛けていく忙しい内容。
ところが直線に入って
馬場の真ん中から鋭進してきたのはスイープトウショウだった。
牝馬特有の鋭い切れ味が生きたのは、
GTでの追い込みっぷりがすっかり板についてきた
池添騎手の手腕によるところも大きいのかもしれない。
39年ぶりの牝馬優勝で、馬連は万馬券の大波乱。
井崎脩五郎が馬単一点で
3万近い払戻しを受けたレースとしても印象深い。 |
第1位
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1999年 グラスワンダー(的場均) |
当時の規定では、外国産馬の出走はかなり制限されていて
クラシックはもちろん、天皇賞にも出ることは許されていなかった。
サンデー産駆のスペシャルウィークは、いわゆる王道をひたすら突き進み
3歳時はセイウンスカイなどと激しい覇権争いをしていたが
明け4歳は春の天皇賞まで3連勝。内国産馬のエースとなっていた。
一方の外国産馬グラスワンダーは、レコードで勝った朝日杯まで無傷の4連勝。
その後ケガに泣かされたが、有馬記念で見事に復活。
スペシャルウィーク不在の中、
3歳馬も古馬もまとめて負かして、グランプリホースの称号を獲得した。
そしてこの宝塚記念が初対決。
かつて、メジロマックイーンとトウカイテイオーが
初顔合わせをした時のような、異様な雰囲気が仁川を包んでいた。
いざ走ってみると、やはりこの2頭は圧倒的に強く、
直線に向くと、両雄が抜け出し完全に一騎打ちに。
2頭と後続の差は7馬身も開いたのだが、
宿敵同士の差は意外に僅差ではなく、栗毛の怪物の方が3馬身先に先着した。
しかし勝ったグラス陣営は、決して完勝したというコメントはせず
たまたま流れが向いたからという表現をした。
その言葉の真偽は、半年後の有馬記念で明らかになった。 |
番外
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2003年 ヒシミラクル(角田) |
その前日の土曜日、電光掲示板は異様な数字を出していた。
9倍前後の妥当な倍率を示していたヒシミラクルの単勝オッズがいきなり1.7倍に。
そこからまた徐々に倍率が上がり始めたものの、前日最終で2番人気と
巷の予想をはるかに上回る人気ぶりという見た目になった。
私はこの奇妙な倍率に、録画して夜に見た
テレ東の競馬放送で初めて気づいたのだが、
直感的に誰かが大きくハッたことによるものと、確信した。
最終的に6番人気で迎えたレースは、なんとそのヒシミラクルが優勝。
翌日の新聞には、一人で1億9918万6000円の的中あり、という記事が踊り、
「ミラクルおじさん」の存在が競馬界のみならず、世間の話題をさらった。
どうやら、50万円の元金でダービー単勝→
安田記念単勝→宝塚記念と転がしたとすれば
計算のつじつまが合うことになるのだが、(NHKマイルからの転がし説もあり)
ダービー1番人気ネオユニヴァース
安田記念4番人気アグネスデジタル
宝塚記念6番人気ヒシミラクル(ミラクルおじさんが買っていなければ
もっと人気が低かったかも)
と、全く脈絡のない予想。
GT馬つながり?と思っても、安田や宝塚には他にもGT馬が何頭もいた。
そして、宝塚ではダービーで勝たせてもらった(?)ネオを容赦なくカット。
単勝党の人にしてみれば、未来永劫奉るべき神の買い方であろう。 |