第3位
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2003年 シンボリクリスエス(ペリエ) |
前年、中山の天皇賞を3歳で勝った、シンボリクリスエス。
翌年は大本命での出馬だったが、
与えられた枠は大外18番。
スタートも決して良いものではなかったが、
後藤と吉田の因縁深い逃げ対決が追い風になった。
1000m56.9秒という、あのサイレンススズカよりも速い超ハイペース。
そんな中、彼は無理せず中団につけ
先行勢が一気に下がってくるところを
豪快に突き抜けた。
タイムはリニューアルされた府中2000mのレコード。
史上初の、天皇賞(秋)連覇を成し遂げた。 |
第2位
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2001年 アグネスデジタル(四位) |
GT国際化の過程であったこの年の外国産馬枠は2頭。
一つ目の枠は二着の鬼メイショウドトウが確保。
もう一つは3歳馬のクロフネが出ることになっていた。
ところが、ここに来てダートで賞金を稼いでいたアグネスデジタルが突如名乗り。
これによりクロフネは出走ができなくなった。
「何で勝てそうもないのに、クロフネを押しのけて出すんだ!」
と言う、口の悪いファンもいた。
いや、言わずもがな多くのファンはそう思っただろう。
だがこれによってダートに廻ったクロフネは
武蔵野Sで9馬身差の大楽勝。
タイムも「これ安田記念だろ」というような、とんでもないレコードタイムを叩き出し
日本ダート史上一番ではなかろうかという、砂適正があらわになった。
そして翌日の天皇賞は雨が降り重馬場。
王者テイエムオペラオーには願っても無い舞台だったが、
その陰でもう一頭、喜んでいたのがアグネスデジタル。
オペラオーが横綱相撲で直線を抜け出したが、
外ラチ一杯の大外に持ち出したアグネスの末脚の方が勝った。
除外された側、除外させた側、双方に幸運はもたらされた。
「運命」とはわからないものである。 |
第1位
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2008年 ウオッカ(武豊) |
これに関しては改めて詳細を説明することは無いだろう。
ウオッカとダイワスカーレットはわずか2cmの差で明暗を分けた。
あまり競馬場で大声を出さない筆者だが、
この時ばかりはレコードの赤い文字を見て叫ばずにはいられなかった。
着順判定が異様に長かったことが思い出される。
この企画において、3度目のウオッカ1位となってしまったが
ダイワファンの私としては、むしろ彼女が良く頑張ったレースとして評価したい。
長期休み明け、初めてのコースをハイペースで引っ張り、
直線の長い府中で、一度交わされても差し返す根性を見せた彼女は
勝ったに等しいと言っても良いのではないかと思う。
ウオッカファンに「どんな内容だろうが、負けは負けだ」
と怒られそうなのでこの辺で止めておくが、
このレースを現場で見られたことが何より、良かった
テレビの方でも、青嶋アナの珍しく華麗な実況が、このレースの価値を上げる
要因になっているかもしれない。 |
番外
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1980年 プリテイキャスト(柴田人) |
3200m時代のレースから一つ。
まだこのレースを見たことの無い方は是非見ていただきたい。
プリテイキャストの逃げ方はただ事ではない。
2周目の向正面ではありえない程の差がついている。
もちろん最終的にはだいぶ縮まるのだが、
それでもまだ7馬身残っていた。
逃げの名レースと言ったら、このレースは外すわけにはいかない。 |