第3位
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2001年 テイエムオペラオー(和田) |
前年度にグランドスラムを達成した彼の、年明け緒戦の産経大阪杯。
明らかな格下馬たちを相手に4着と不覚を取り、重賞連勝記録が途絶える。
一方でライバル、ナリタトップロードは、今も破られていない
芝3000mのレコードを叩き出し、8馬身差圧勝で前哨戦を終える。
外国産馬メイショウドトウは、出走条件となっていた
日経賞1着のノルマを当たり前のように果たす。
絶好調の挑戦者対、暗雲立ち込める王者という構図になった。
レースは、直線を向き早めの競馬をしたトップロード。
一旦は抜け出したように見えたが、オペラオーがじりじり迫る。
残り100m地点で遂に捕らえ、先頭に立ったところで
いつもより後方に控えていたメイショウドトウが、大外をついて一気に進出。
しかし、これを見たオペラオーは更に加速し、
ドトウの執念を退けGT6連覇達成。
一度は危ぶまれた最強馬の座をがっちりと守った。
守るべき王としての姿とは、なんたるものであるかを、ライバルに
そして私達に、‘結果’というものを以って見せてくれた。 |
第2位
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1993年 ライスシャワー(的場均) |
今まで誰もなし得たことのない、春の天皇賞3連覇がかかるメジロマックイーン。
逃げに定評のあるメジロパーマーが大逃げし、
スタミナ自慢のマックイーンには絶好の状況となった。
しかし、この展開を得意にする馬がもう一頭…。
終始彼の後ろにピッタリと付く、小さな影があった。
マックイーンが逃げるパーマーを捕らえに行ったところで、
その後方に居た影が、この日の主役に牙をむいて襲い掛かった。
その正体は――
前年ミホノブルボン三冠制覇の夢を打ち砕いたばかりの、ライスシャワーだった。
関東から送られた刺客は、またしても
大記録の芽を摘む、憎さ余りある仇役となった。
掲示板に点るレコードの文字が、
マックイーンファンの怒りを更に増幅させた。 |
第1位
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1997年 マヤノトップガン(田原) |
前年の天皇賞は、ナリタブライアンとの叩き合いに敗北し
後方に沈んだトップガン。
ライバル不在の宝塚は制したものの、秋の天皇賞は3歳馬に勝ちを譲り、
有馬記念はサクラローレル・マーベラスサンデーの一騎討ちから
遠く離れた入線となった。
消化不良のレースが続く中、迎えた春の天皇賞
田原は後方待機策をとった。
序盤は馬が行きたがる中、鞍上はなんとかトップガンをなだめつつ
向正面では内でジッとさせることに成功した。
勝負どころでは、ハイペースの流れのまま
ローレルとマーベラスの火の出るような一騎討ちに。
有馬記念の再現なるか、という様相で二頭が激しくしのぎを削っているところに、
もう一段階違う脚の速さで、トップガンが大外からフレームイン。
きっちり前2頭を交わしたところがゴールだった。
「平成の3強対決」と言われて、まず頭に浮かぶのがこのレース。
レコードを一気に3秒縮めた事に、この戦いの凄さが現れている。 |
番外
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1991年 メジロマックイーン(武豊) |
祖父メジロアサマが秋の天皇賞を制したのは1970年。
しかしこの馬の受胎率は異常に低く、シンジケートも解散されてしまうほどだった。
馬主の個人所有ということでかろうじて種牡馬生活を続けていた中、
産駆のメジロティターンが、同じく秋の天皇賞を優勝し
この系譜がつながっていく。
そしてその子、マックイーンは3歳夏から頭角を現し、菊花賞を制す。
天皇賞制覇を最終目標とする、メジロ牧場の信念を受け継ぐこの遺伝子は、
4歳春に向かって見事その能力が最大限に開花し、
親子3代天皇賞制覇の偉業は成された。
さらにその後の、マックイーン産駆のGT制覇はまだないが、
GPホースドリームジャーニー・三冠馬オルフェーヴルの母
オリエンタルアートを出し、その血は更に続いていくことが期待できる。
そのオルフェーブルの皐月賞優勝直後に届いた、メジロ牧場解散の知らせは
日本競馬の長距離路線衰退の象徴として
大いに考えさせられるものである。 |