父タニノギムレットが2002年にダービー制覇。しかし秋シーズン開幕直前に故障し引退。種
牡馬となった。そしてその初年度産駆として、自家繁殖馬タニノシスターとの間に生を受けた
のがウオッカである。ギムレットは蒸留酒「ジン」ベースのカクテルであるが、この産駆はジン
より強い酒のウオッカから名付け、ストーレートでより強く、ということで、通例である冠名「タニ
ノ」をつけるのを敢えて控えたという。牧場では手がかからず大病に見舞われることのない馬
で、牧場長もあまり記憶が無いほどであったが、入厩時にはポテンシャルの高さが評判にな
り、「シーザリオ級では?」と噂された。
デビュー戦は鮫島騎手が跨った。ハナを切り、直線突き放すという強い競馬であった。二戦
目以降は四位騎手になり、スタートの失敗から後手を踏んで黒星を喫したが、3戦目の阪神
ジュベナイルFでは、新しくなった阪神1600m外回りの長い直線を生かし、2歳レコードで初G
T制覇を飾った。
3歳明け初戦は、二キロ重い斤量を物ともせずオープン特別を快勝。続くチューリップ賞では
生涯の宿敵となるダイワスカーレットと初めて顔をあわせた。ウオッカの接近を待って追い出し
たダイワを力強く交わして勝利。ちなみにこの二頭と3着との差は6馬身離れており、この段
階から彼女達の世代離れした強さが伺われる。桜花賞は先に抜け出したダイワに追いつけ
ず返り討ちにあった。次走はなんとダービーに出走。ファンは半信半疑な3番人気という結論
だったが、皇太子殿下ご観覧の下、ウオッカは府中の直線で牡馬達を置き去りにし、牝馬と
して64年ぶりにダービー制覇という歴史的勝利を収めた。同時に父子ダービー制覇も達成
し、父娘ダービー制覇という点では初の事例となった。
この後果敢にも宝塚記念に挑戦するが、さすがに古馬牡馬の壁は厚く8着大敗。凱旋門賞
挑戦の夢も蹄球炎で消え、ぶっつけの秋華賞はライバルに完敗、エリザベス女王杯は跛行
で直前に出走取消とチグハグな状態が続く。ジャパンCでは3歳牝馬にして4着とそれなりに
見せ場を作ったが、有馬記念では11着と惨敗し、不遇な秋シーズンを過ごした。
4歳になり、再び海外に目を向けドバイデューティーフリーに挑戦。しかしこれも4着に敗れ、
帰国初戦のヴィクトリアマイルも取りこぼす。早熟説が有力になってきた中での安田記念は、
今までの鬱憤を晴らすようなブッチギリ劇を見せ華々しく復活した。しばらく休養し前哨戦を消
化した後、天皇賞で久々にダイワスカーレットと再戦となった。休み明けのダイワが逃げ込み
体制に入ったところを、ウオッカは一年年下のダービー馬ディープスカイと併せながら追い込
む。一旦は完全に捉えたが、ここでダイワが差し返しにかかり、全く並んだ状態でゴールイ
ン。長い長い写真判定の結果、わずか2cmの差でウオッカに軍配が。レコードタイムでの決
着であった。結局この年、牝馬として11年振りに年度代表馬に選ばれた。
5歳も再びドバイへ遠征したが結果を出せず。しかし府中に帰ってくると、鬼のような強さを
見せ、ヴィクトリアマイルはマイルGT最大となる7馬身差圧勝、安田記念では前がことごとく
塞がる絶望的に不利な状況を打破し、ダービー馬ディープスカイらを子ども扱いした。これで賞
金は牝馬初となる10億円突破、近年例が無かった安田記念連覇も果たす。秋にはジャパンC
でまた2cm差ながら勝利を収め、GT勝ち数は最多タイに並び、二年連続で年度代表馬の座
に輝いた。
6歳のドバイワールドカップ出走で引退の予定だったが、前哨戦の直後で昨年JC後にも発
症した鼻出血を再発させ、そこで引退が決まった。日本には帰らず、その足でアイルランドに
向かい繁殖生活に入った。 |