豊富な骨量を持った体格に恵まれ、馬主の西氏はハクチカラを当時の最高価格300万円で
落札。デビュー後は期待通りの成績を挙げるも、朝日盃でライバル・キタノオーに惜敗。見
事、ダービーでは屈辱を晴らしたものの、以降はキタノオーが一線を退くまでことごとく先着を
許し、世代ナンバーツーと大衆からは見られていた。
ライバルがターフを去ってから、人気を一身に集め、天皇賞で途方もない単勝指示率を獲
得。次の有馬記念と併せてあっさり連勝し、その後彼は戦いの相手をアメリカに求めた。始め
はアメリカの競馬に歯が立たなかったが、徐々に着順を上げて、遂に11戦目のワシントンバ
ースデーハンデで勝利を飾り、日本馬初の海外重賞制覇の快挙を達成した。それ以降、'95
年にフジヤマケンザンが香港カップで勝利するまで、実に36年もの間、海外での日本馬平地
重賞制覇は成し遂げられなかった。
引退後は、日本での種牡馬生活をへて、インドに寄贈され、インドでのクラシックホースを産
みだし、インドで骨をうずめた。 |