祖父は天皇賞馬メジロアサマ、父も天皇賞馬のメジロティターンという、メジロブランド自慢
の血統を持って産まれた。祖父のアサマは極端に受精率が悪く、メジログループの北野豊吉
氏の執念が実って生まれたのが父のティターン、菊花賞馬メジロデュレンを産んだメジロオー
ロラとの間にできたのが、アメリカの俳優スティーヴ・マックイーンから名をとった彼であった。
大型馬で、足元も強くなかっただけに、デビューが遅れダービーには間に合わなかったもの
の、条件戦を勝ち上がっていき、菊花賞を見据えて兄と同じく嵐山Sに出走。しかし前が壁に
なる不利に遭い勝ちを逃して、条件クラス脱出に失敗し、本番出走が微妙になる。運良く回避
馬が出たことで、菊の舞台に出られたが、ホワイトストーンや同門のメジロライアン以下を下し
てクラッシク制覇。親子3代GT級制覇と、兄デュレンとの兄弟菊花賞制覇も成した。
メジロ軍団の最大目標である天皇賞制覇を目指して、有馬記念を回避。鞍上に武豊を迎
え、翌年震災のため中京競馬場で行われた阪神大賞典から始動。ここを予定どおり勝利し、
一番人気を得て文句無く天皇賞勝利。見事に親子3代天皇賞制覇の大偉業を完成させた。
宝塚記念は、苦杯を舐めさせた同門のライアンに勝ちを譲ったが、休み明けの京都大賞典
勝利から、秋の天皇賞も不良馬場も大外不利もものともせず、6馬身差の圧勝を収めた…、
はずだった。ところが、2コーナーで他馬の進路を妨害したため、GTとしては例の無い最下
位18着へ降着。その流れを引きずったか、JCでは外国馬に屈し4着。有馬記念はブービー
人気であったダイユウサク一世一代の末脚に2着と敗退した。
翌5歳は、昨年の不運を振り切るような阪神大賞典の楽勝。天皇賞では無敗の二冠馬トウ
カイテイオーとの世紀の対決に勝利を収め、2連覇を達成。しかし骨折し休養に入った。翌6
歳の産経大阪杯に出場し、休み明け・中距離ながらレコード勝ち。天皇賞3連覇に向け大き
な期待がかかったが、ここでミホノブルボンの三冠を阻止したライスシャワーに行く手を阻まれ
た。しかし宝塚記念は無念を晴らす快勝劇で、4年連続のGT勝利。秋には京都大賞典をレ
コード勝ちし、賞金額は10億円を突破。未だ現役最強を誇示し続けたが故障に見舞われ、年
度代表馬の座を得られることなく、引退した。
種牡馬入りし、繁養先の社台スタリオンステーションで一番仲が良かったのはサンデーサイ
レンスだったという。2006年、誕生日である4月3日に、彼は静かに生涯を終えた。 |