クモワカという32戦11勝という成績を残した牝馬は、法定伝染病・伝貧と診断され薬殺処分
が決まった。しかし、関係者は無実を信じクモワカを密かにかくまった。そして血統書から名前
も外され、裁判沙汰にもなったが、最終的に病気の非感染が認められ、繁殖牝馬として復活
した。そんな経過を経て生まれたのが、桜花賞馬ワカクモであり、さらに彼女とコントライトの
間に生まれた栗毛の馬が、後に貴公子と呼ばれるテンポイントであった。
新聞の10ポイントくらい大きな活字で載るようにと名付けられた彼は、新馬戦で10馬身差の
レコードで圧勝。2戦目でも9馬身、阪神3歳Sで7馬身ちぎり、関西の星として大きな期待を
受けた。年明けも連勝し、皐月賞で関東の天馬・トウショウボーイとの初対決。厩務員ストに
よる一週遅れの影響もあり、初めて2着に敗れた。ダービーでは骨折し7着。秋に復活し、菊
花賞でトウショウボーイにようやく先着したが、もう一頭のライバル・グリーングラスに敗れる。
有馬でも天馬に敗北。翌年宿敵不在の天皇賞を勝ったが、宝塚で再びライバルに敗北。60キ
ロ以上を背負いながら前哨戦を通過して、最後の対決有馬へ。スタートから2頭抜け出すとい
う、伝説のマッチレースを披露し、抜きつ抜かれるのレースを遂に勝利した。
明け、雪の舞う日経新春杯で66.5キロを背負ったが、4コーナーで故障発生。多くのファン・
関係者の願いを受け、42日間の過酷な闘病生活を送ったが、とうとう蹄葉炎に発展。彼の子
供を見ることは叶わなくなった。 |