大映の永田社長がオーナーとなったこの馬は、始めはパーフエクトという名を付けられた
ものの、それ程期待されていなかった。しかし新馬戦の圧勝劇を目の当たりにし、この馬
の素質を信じたオーナーは、長年温めていたトキノミノルという名をこの馬に改めて与え
た。
皐月賞ではライバルと目されていたイツセイを子ども扱いし、満を持してダービーへ。だ
が、最高の舞台を目前に膝の疾患が発生。懸命の関係者の努力でなんとか本番に漕ぎ
着けたが、レースは怪我の影響も見せずに完勝。その時、膝の腫れは破傷風に発展して
いた。そして、彼は半月後にこの世を去った。
「目指すダービーに勝って忽然と死んでいったが、あれはダービーをとるために生まれて
きた幻の馬だ。」作家の吉屋信子さんの言葉である。そして、彼は旧名の通り、パーフェク
トで競争人生を終えたことになる。今も彼の銅像が、東京競馬場のパドック脇にひっそりと
建てられ、現在までに至る数々の競馬伝説の発祥を見届けてきた。 |