セントライトが三冠を達成して3年後、同じ母フリッパンシーからの最後の産駒となった彼
は、見事皐月・菊花と二つのクラシックを制した。ただ、ダービーは、過半数もの単勝支持を
受けたものの、7着と大敗してしまい、おかげで単勝が55430円もついてしまった。騎手が
あがってしまったとか、直前に一日2回調教したためだとかいわれているのだが。
古馬になってからは、75キロも背負わされるなど、重い斤量に苦しめられた。天皇賞のタ
イトルも取れそうで取れなかった。
しかし、引退して種馬となってから彼は復活した。この時代は、輸入種牡馬の数が少なか
ったというのも事実だが、多くの良血牝馬と交配でき、多くのGT級レースの勝馬を産みだ
し、戦後の代表的な内国産種牡馬としての地位を確立した。 |